2011年1月6日木曜日

Separate Ways

2010年シーズンで、競技生活にピリオドを打たれた方は、僕の知る限りでもとても多かったです。
本格的に国内のロード競技を見だしたのは2009年からなので、普段がどれぐらいかは把握していないのですが、キャリアを全うされた方よりも、20代前半や10代の、かなり若い方がキャリアの転換を表明されたのに驚きました。

引退を表明されるアスリートの心理がどのようなものかは想像も難しいのですが、新しく選択されたそれぞれの道で、それぞれの納得のいく人生を歩まれる事を祈っています。




プロアスリートの世界、移籍、引退は当然で、それは知識としては頭の中に入っていました。

でも、短い観戦歴の中で、撮影し、写真をお渡しする機会があり、言葉を交わしてきた人が、その競技から去るのは、陳腐な表現ではありますが、「寂しい」と言わざる終えません。

ロード競技はとても選手とファンとの敷居が低く、コミュニケーションを取りやすいのが特徴です。

それもあり、ファンの皆さんは、この競技に対してファナティックともいえる忠誠心を示し、

「観戦する」

という受動的姿勢よりも、

「自分たちで作り上げる」

という能動的姿勢が強いように思えます。

だから、新しい道を行く選手には、惜しみない声援と努力で送りだそうとするんですね。





引退を表明されたある選手に、全日本シクロの会場でお会いする機会がありました。

全日本ロードの時の写真をそれ以前に送っていて、お話を聞くのはそれが始めてでした。


「他に僕の写真はありませんか?やっぱりないですよね?」


その言葉は、社交辞令ではなく、本当に彼が心から、自分のレースの写真を欲している事が分かる響きを持っていました。

帰ってからライブラリを探し、全日本ロード内で8ショットを発見し、お渡しする事が出来ました。


その時に思い出しました。

以前に、アスリートの方にとって、写真が重要な意味を持つと思った事を。


自分が、例え短い間でも、全身全霊で打ち込んだ対象が、それが自分の記憶だけではとても辛い。

「証」が「形」として残る事はとても重要な事です。

もしかしたら、すごく辛い時期に、自分が戦っていた姿を見て、なにか思い出すからもしれない。

もしかしたら、将来の自分の家族に、その姿を見せる事になるかもしれない。

その時、自分はなにを考えていたのか?

なにと戦っていたのか?



報道として全体を伝える写真ではなく、本人の皮膚感覚をトレースするかのごとく寄る写真にも、そこにだけは価値があるのかもしれません。

他の人が見ても分からない、本人だけが思い出すなにか。



選手として退かれても、なお、別の形でレースの現場に残るひと。

そして、まったく新しい道を行くひと。


タイムカプセルに入れる手紙のように、何年か、何十年か先に、写真を見て、なにか思うところがその人にあったら、それはフォトグラファーとしてとても幸せな事です。







Good friends we have, oh, good friends we've lost
Along the way
In this great future you can't forget your past
So dry your tears, I say

俺たちの大事な友達、もう失ってしまったけど

生きている間はそんな事もある。
これから素晴らしい未来が君を待っているけど、過去を忘れてはいけないよ。
だから涙をふいて。


No, Woman, No Cry (Bob Marley And The Wailers)

Life is Just a Dream, You know. : Blue

MAKOTO IIJIMA :con fuoco

YOSHINORI IINO :molto Allegro

MAKOTO SHIMADA : animando

TAKUMI BEPPU: Inferno!!

HATSUNA SHIMOKUBO : adagio

CHIHIRO MATSUDA :grazioso