2011年1月26日水曜日

Emotion, Instinct, and Intelligence

眠りつけない夜に、Stingの1985年の記録映画、”Bring on the Night - a Band is Born”を見ていました。

当時の最高峰のジャズミュージシャンが結集して作られた「ロック」バンド。
そのバンドによるアルバム、”The Dream of Blue Turtle”の制作と、そのライブを収録した映画です。音楽ドキュメンタリーの傑作の一つと言われています。


映画の冒頭で、参加ミュージシャンが、Sringについての印象をインタビューで答えているのですが、バックボーカルの女性「Ms.Dollette McDonald」が語った印象がとても興味深かったです。

「彼(Sring)の音楽は「本能」と「知性」の両方を刺激する。そんな音楽は珍しい。」


その言葉はとても印象的でした。

改めて辞書で引いてみると



ほん‐のう【本能
動物個体が、学習•条件反射や経験によらず、生得的にもつ行動様式。帰巣本能•防御本能•生殖本能など。


ち‐せい【知性】

物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。「―にあふれる話」「―豊かな人物」

比較•抽象•概念化•判断•推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力



つまり聞く人に対して複数のレイヤ

本能
        先天的特性
        制御不能
        認識不能の世界(感覚も認識も及ばない世界)

意識(認識、情緒)
        後天的特性
        ある程度制御可能
        認識された世界(感覚的所与を認識に昇華させた世界)

に働きかける音楽、という事です。

表現がメッセージとするなら、これは究極の表現です。

相手の本能、感覚、認識の全てに訴えかけるメッセージだからです。



この言葉を聞いたとき、僕が写真で目指したい世界も、

「本能」と「知性」に訴えるもの

なのだと直感的に思いました。




でも、その後、

「本能」と「知性」に訴える写真ってなんだろう?

と考えました。



いきなり知的でない表現を使うと、

「本能に訴える写真」

は、現代風に言うと

「萌え」

なのかもしれません。

説明不要、修飾不要、それだけで完結し、認識を超越して訴えかけてくるもの。




「知性に訴える写真」

知性が「感覚を認識に変換する能力」だとすると、

「写真からの事物の抽象的視覚情報から、具体的な意味情報を伝える事」

と言えるのかもしれません。

つまり、本能が言葉を超越して伝わる(グッと来ると一般に言われる感覚?)のに対して、知性は言葉で伝わる。

「写真を見て、様々な事を想像したり、連想したりする」

という表現を良く見ますが、まさにそれが知性に訴えている、と言えるのではないでしょうか?


振り返って自らの写真を見ると、本能に訴える部分はあると思うのですが、知性に訴える部分は弱いように思えます。


それは、自分の写真が、あまりにもシンプルで、主題が明確に一つだからです。

メッセージが強すぎて、想像の入り込む余地が少ないかもしれません。

それはアップがいけない、という事ではありません。

一見、周辺情報を欠落させていくような被写体へのアップでも、その視線や、アイウェアの反射や、口元の動きで、かなり想像の余地は広がるはずだと思っています。


では、もっとメッセージに対するフォーカスを弱くした方がいいのか?


でも、それをすると、自分が自分ではなくなるような気がします。
自分で写真を撮る意味がないと。


結局、2011年1月27日現在では、僕は本能に訴えかける表現に特化して、知性に訴えかける「何か」が足りないようです。

良し悪しではなく、これも僕の今の世界ですね。

その世界も、経験により、また変わっていくかもしれません。

でも、今の段階では、偏ってはいるものの、明確に自分の世界が、写真という表現の中で持てている事は、幸運な事だと思っています。


If You Love Somebody, SET THEM FREE.