僕が写真を始めたのは2008年からなので、デジタルカメラが最初のカメラです。
ベースがデジタルなので、フィルムのアナログカメラというのが、どういうものか良く分かっていませんでした。
比較的最近(15年前ぐらい)のアナログカメラは、露出計があり、自動露出(Auto-Exposure)があり、操作感として、デジタルとあまり変わらない印象なのですが、それ以前の電池を必要としない、完全手動のカメラは、まったく未知の世界でした。
知人にアナログカメラを好む人が数人いて(なぜか皆女性)、
「なぜアナログカメラなんですか?」
と聞いてみたのですが、なかなか納得のいく回答は得られませんでした。
そんな訳で、僕の中でアナログカメラのイメージは
「不便さを楽しむコスプレ」
という、甚だ失礼なものでしたw
現代社会で、パリに行くのに、飛行機ではく、船旅を選択するような遊びだと思っていました。
そんな僕が感じたアナログとデジタルのカメラの話です。
おそらく数回続きます。
昨年の年の瀬、会社の近くにある、アンティークカメラショップになんとなく寄ってみました。
目的は、ライカがリリースした35mmサイズのCMOSセンサーを搭載したコンパクトカメラ、X1を見てみる為でした。
コンパクトカメラなのですが、値段は実売20万円とびっくりする程高価なカメラです。
ライカというメーカーは、僕のような詳しくない人間でもその名前を知っている、ある意味、カメラのアイコンのようなメーカーです。
時計でいえばロレックス、車ならメルセデスみたいなイメージですよね。
実際にX1を手に持って操作してみました。
操作系はとてもシンプル。
ホールドした感じもしっくりくるカメラでしたが、不思議な違和感がありました。
おそらく、描画性能はとても良いのだと思います。
僕が感じた違和感は、プロダクトとしての質感があまり高くない、というものでした。
写真で見た時には、とても惹かれるデザインだと思ったのですが、微妙なラインの処理や、正面の仕上げに違和感があり、それがとてもノイズに感じるのです。
正直、PEN EP-1の方が持った時の存在感があるように感じます。
今までカメラは道具と割り切っていて、デザインや値段を意識した事は全然ないので、この感想はとても意外でした。
僕のその気持ちを感じとったのか、店員さんがショーウィンドウから取り出したのが、ライカM6でした。
有名なM型ライカの1984年に発表されたモデル。
基本機械式駆動ですが、TTL露出計を内蔵し、露出計を駆動する為に、ボタン電池を使います。(電池は露出計用なので、カメラ自体は電池なしでも動きます。次のM7から電子シャッターになり、電池が必須になりました。)
店員さんに手渡されて持って見ると、びっくりするほど重い。
重量は560g。
店員さんは元々アンティークカメラが本業なので、次々に熱い解説を始めます。
・ボディーは真鍮の削り出しなので、とても重量があり堅牢。M3の時代の1950年代から、ずっと現役で使われている。
・フィルム室の蓋(底部)には、遮光用のウレタンもゴムも一切使われていない。
金属の削りだしの精度のみで、寸分違わず合わせられていて、光を通さない。
なぜゴムやウレタンを使わないのか?
それは消耗品だから。
当時のライカの哲学が、時代を超えて稼働出来るカメラの開発だったため。
消耗品があるという事は、製品の寿命を縮めるから。
・装着したレンズの種類に応じて、ファインダーフレームが自動セットされる。
・フィルム巻き取り時にリリースボタンを押し下げると、連動して、フィルムスプロケットが開放される。これらは全て電池を使わない機械式連動(カムやクランク連動)で制御される。
・ライカはフィルムノブ(フィルムを巻き取るレバー)と、シャッターが同軸である。
(構造的には、それぞれを別の部品にした方が安価で確実なのだが、人間の動作では、シャッターと巻き取りが同軸である方が望ましく、あえて負荷のかかるこのシャフトに、二つの構造を持たせた。
・発売当時(1954年)の日本での価格は、車を超えて不動産に近いものだった。
店員さんが熱く語る物語は、とても詩的で楽しく、ついつい聞き入ってしまいました。
M3をリリースした当時のライカ(1954年)の企業姿勢は、現代では考えられないものです。
カメラメーカーというより、カメラ工房ですね。
考えられる最高の設計をし、最高の素材を使い、そして、それが永続的に使えるように設計し、最高の料金で販売する。
今ではフェラーリでも、こんな工房的な姿勢ではありません。
僕は、マスプロダクツが悪いモノだとは思いません。
大量生産されるから、一般人でもカメラを買う事が出来、コンピュータを使う事が出来ます。
それによりもたらされた自由は広大です。
でも、マスプロダクツは、必要な性能に絞り、大量に生産する事でコストダウンを計り、広く流通させる事が目的です。
いつしか、世の中は、「安価である事」の重要性が「必要品質」を上回っているように思えます。
結果、とても安価だけど、必要を満足に満たせず、でも「安いからいいか」と放置される製品はとても多い。
捨てて、捨てて、回していく経済です。
機械は道具だけど、開発者に熱のある機械は、手に馴染んだり、なにか訴えかけるものがありあます。訴えるというより、挑んでくる熱のようなものが。
デジタルカメラを道具と割り切っていた理由の一つが、とても製品寿命が短いからです。
フィルムがセンサーに本格的に置き換わって、まだ10年程度しか経過していません。
デジタルカメラは進歩したとはいえ、まだ過渡期で手探りな状態です。
最高性能のプロ用35mmサイズ・デジタル一眼レフのボディは、100万円近い値段ですが、実用的に使えるのは5年程度です。
技術革新が早すぎて、カメラの根本性能自体が5年だと、大幅に書き換わるからです。
しかし、面白い事に、ライカのフィルムカメラは、1954年から現代まで、60年にわたり、根本性能に変化がありません。
進化が停止しているとも言えますし、60年前で完成の域に達していたとも言えます。
カメラを道具としてとらえる場合、安定した環境で作業出来る、というのはとても重要な事です。
デジタルの場合、ライフサイクルが短いので、新しいカメラになった場合、その環境に自分を適合させるのが、とても大変です。
(僕の3年という短いキャリアでも、1回乗り換えてます)
フィルムでは、新しい技術を追う必要がない為、技法が究極まで検証され、洗練されていて、創作以外の余計な事に神経を取られる必要がありません。
1954年のM3の設計者達の思惑通り、半世紀以上を経た2011年でも使われ続け、唯一の消耗品であるフィルムが生産され続ける限り、今後も使われ続けるでしょう。
「永遠に動作し続ける機械」
複雑な精度と、極限でも動作する堅牢性を併せ持つMシリーズは、設計者の狂気すら感じる、異様なこだわりを感じます。
M3が現役だというのは、ホビーの世界だけの話ではありません。
アフガニスタンの米軍に随行している日本人の従軍カメラマンも、デジタルの他に、M3を戦場で使っているそうです。
長時間に及ぶ行軍の際、バッテリーを充電できない事もあり、そういう時、デジタルカメラは使えません。
また、精密さ故、砂塵や、過酷な気象に弱くなっているデジタルカメラに比べ、M3は、電池を必要とせず、行軍の間、岩に当てても問題ないタフさがあります。
プロフォトグラファーの砂田弓弦さんに、昨年の全日本の時、少しお話を伺う事が出来ました。
Q
「砂田さんにとって、カメラに絶対必要な性能はなんですか?」
A
「動く事です。どのような条件下でも。
画素は600万でもそれ以下でもいい。どんな過酷な条件でも安定して、「ただ動作する
事」それが一番重要です。」
まさに、従軍カメラマンの方が、現代でもM3を使っている理由がそこです。
ファッションではなく、現代でも代替不能な揺るぎない性能。
「信頼性」(reliability)
があるからです。
デジタルとアナログの定義から離れてしまいましたが、初回はライカの話でした。
ちなみに、店員さんが熱く語ったM6は、その後購入し、このオフシーズンはフィルムで撮影しています。
次回は、「デジタルとアナログの解体」の予定です。