2011年2月24日木曜日

Interview through the Finder

僕はハードウェアとしての自転車に興味がありません。

時間があればロードにも乗るのですが、道具という以外に特に愛着もない。
ロードレースの写真を撮影している一番の理由は、競技に身を置いている人に興味があるからです。

だからそれが「自転車レースの写真」というフォーマットとして邪道であろうと、僕が撮影する時には、無意識で選手だけにフォーカスして、自転車はカットしています。

昨年暮れ、マトリクスの阿部選手とお話出来る機会があり、お願いをして、話ながら写真を撮影させて頂き、そのお話をFlickrに掲載させて頂きました。

お話を聞きながら、タイミングを見て、ファインダーをのぞき、シャッターを切る。
視線を見ながら、話の方向性を考えて、フォーカスポイントと露出を決定していく。

最初、至近距離からレンズを向けられたら、緊張されるのではないかと思っていました。

ただ、それは阿部選手の胆力からか、話が白熱していたからか。
途中から、僕がカメラなしで話しているのと、ファインダー越しに話しかけているのを、ほとんど意識されていないようでした。、

ファインダーを通して、ポートレイトとして相手と対峙する時、フォトグラファーと被写体の間には独特の空気感があります。


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まず信用を得ないといけない。

いきなりコンタクトを取り、いきなりレンズを向ける事は、あり得ないし、可能であったとしても、それは良い結果にはなりません。

僕はアマチュアなので、正直に、駆け引きなく、相手への敬意や愛情を伝え、その作業を事前に積み重ねます。

著名人を撮影して、話を聞き、それによって名声を得たいのではなく、本当に個人的興味からで、その時の印象を出来れば人に伝えたい。
つまり、

「その人を紹介する」

のではなく

「私というフィルターを介して見た、その人の印象を伝えたい」

という動機です。

結果的にそれは、被写体を利用している、という人もいるでしょう。

でも、人に興味を持ち、その人の話を聞きたいと思う気持ちは、おそらく人間に普遍的に存在する基本的社会欲求だと思います。

その気持ちにブレがなければ、僕はまだ人に話を聞く事が出来そうです。


僕はそれほど会話に対する能力に恵まれているわけではなく、どちらかというと、事前に構築された考えを、人に伝える事の方が得意で、会話中のランダムな状態から言葉を選ぶのはとても苦手です。

考えてから言葉にするリードタイムを嫌い、頭の中に流れる言葉をそのまま口に出し、剪定しながら会話を紡ぐ為、同じ言い回しをいろいろ変えたりして何度も繰り返す癖があります。

会話の洗練度からするとそれがデメリットではあるのですが、ファインダー越しにインタビューしている時は、けっこう緊張した空気感になり、綺麗な流れの言葉の構築よりも、ジャズの即興演奏のように、言葉を次々にスクラップ&ビルドしていく方が、僕はお互いに考えが整理しやすいように思えます。

そう、その時の感覚は、まさにジャズのimprovisation(即興)。
お互いの投げかけるフレーズに、ある時は呼応し、ある時は方向をずらしながら。

スカイプで人と話をする時、ある程度真剣に話す時には、ビデオ通話にするのですが、それも相手の表情が見えないと、読み取る情報量が減るので、理解しづらいからです。

ファインダーは、それをかなり推し進めて、微細な表情の変化が分かる。

「あなたには写真を撮られたくない」

という人は多いけど、それはそこまで踏み込もうとする無遠慮な姿勢を嫌っての事だと思います。

ただ、僕は、話を本気で聞きたいと思う時は、それはティーラウンジでの洗練された会話ではなく、本当に本心から相手に自分を晒して、その返答を見たいと思います。

それは相手の心を剝き出しにする行為ではありません。

どちらかというと、自分の心を剝き出しにする行為です。


ある意味、会話をしながらのポートレイトは、自分の中での理想の写真の場で、どのような激しいレースの写真よりも、自分にとっては生々しく迫るものがあります。

饒舌な会話は技術的に洗練させる事が出来ると思いますが、たぶん一番重要な事は

「正直である事。自分の気持ちを飾ったり、偽ったりしない事」

それが僕にとっては、肖像写真の一番重要な要素です。



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If You Love Somebody, SET THEM FREE.

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

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2011年2月20日日曜日

Talkin' with TAKUMI BEPPU

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Q
友人が、何回か匠さんにサインをもらったので見覚えがあるかと思いますが、昨年、僕が撮影した写真で作った写真集です。
表紙の史之さんは、09年の鈴鹿ロードで撮影し、僕が本気で写真に取り組もうと思った切っ掛けになった写真です。
匠さんの写真は、全日本の時に撮影した写真です。
僕のそれまでの匠さんのイメージを覆す、本能むき出しの表情で、人に対する見方がとても変わった一枚です。

A
覚えています。
僕はいつも真剣に走っているつもりなんですが(笑)

Q
でも、基本ポーカーフェースでしたよね(笑)
その後、引退を表明されたのを見て、なにかこの表情も、いろいろな御決意が現れていたのかな、と想像していました。

A
そうですね。
不思議ですね。
プロトンには多くの選手がいて、高速で通過していく。
それなのに、あなたがこの瞬間を捕らえたというのは、とても不思議な気持ちになります。
縁、みたいなモノがあるんでしょうね。

Q
そうですね。
ロードの写真は、基本狙って撮影出来るものではないと思っています。
どのように優れた技能を持つプロでも、やはり最後は縁(運)に左右される。
縁がなかったら、僕も、多くの人も、あなたのその時の気持ちを知らなかったかもしれないですね。

A
本当に。

Q
以前、匠さんが、Twitterで、
「現役の時は、自分を追い込むジョギングしか出来なかった。引退してから、やっとゆっくり走る事が出来た」
とTweetされていたのがとても印象的でした。
現役は退かれたけど、自分を見つめる幅が出来たという事なのかもしれないですね。

A
ええ。
現役の時は、がむしゃらに追い込んでばかりで、あの感覚はとても新鮮でした。
ゆっくり走るなんて考えた事もなかったんですが(笑)
良い事なんだと思います。

Q
切っ掛けになったお二人に写真をお渡しできて本当によかった。
これからもご活躍を。

A
ありがとうございます。


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20-Feb.-2011

伏見/名古屋
愛三レーシング ファン交流パーティー

2011年2月17日木曜日

Humanity Circuit

友人から


「なんでも出来るのに自分に自信がないの?」


と聞かれました。


確かに仕事を遂行する能力は比較的あるような気がします。
でも、おそらくその能力の反作用だと思われますが、僕には、


「人の気持ちを推し量る能力」


が致命的に欠落しているようです。


仕事の世界では、人は実利に基づいて行動しているので、様々雑多な感情のノイズが混じるとはいえ、その行動の帰結は予想可能なのですが、プライベートの人の感情は、そのパターンには当てはまりません。


真っ当な人は、子供の時から様々なパターンを蓄積して、「人間性のサーキット(回路)」を形成して大きくなるのだと思いますが、幼少時から奇人として育った僕には、その経験がなく、蓄積の機会を逃していました。


去年から、様々な方面で、多くの人と知り合い、その人達は、とても親切に「人の道」を説いてくれます。


多くの場合、自分で検証し、それを吸収しています。


ただ、自分の皮膚感覚で理解不能な事は、様々な方向から、質問をして検証し、あげくその相手を怒らせてしまいます。


ある人は、


「普通、人は、些細な事をパターンとしてそれ以上は考えない。その些細な事を、あまり問い詰めると、いわゆる「引く」状態になる」


と言っていました。






数日前、その愚行をまた繰り返してしまい、とても反省していました。
おそらくその人は、異文化どころか生態系が事なるモンスターを見たような不気味な感覚を持った事でしょう。


かなり凹みつつ、会社近くを出勤する為に歩いていました。


すれ違った男性に、いきなり声をかけられました。






「よかった!もう体は大丈夫なんですか?」






スキンヘッドで恰幅の良いスーツ姿のその男性は、僕は見覚えがありません。
おそらく、昨年の交通事故の事を仰っているのだと思い、現状はもう問題がない事をお伝えしました。




「失礼ですが、私はあなたに面識がないのですが、事故を目撃された方でしょうか?」




「そうです!私は近くの介護事務所の者で、事故の時、ウチの看護師が処置したんです。ご無事そうで本当によかった!」






その人は大きな手で僕の手をとり、ガシガシとシェイクします。


すごく不思議な気分です。




事故の後、事故前に寄っていたコンビニに、飲み物を買いに行きました。
レジの女性が、僕を見てびっくりし、急に泣き出しました。


彼女は目の前の事故を見て、その看護師さんと一緒に、血だらけになった荷物を拾ったり、救急に電話してくれたそうです。


事故は10トンのトラックと歩行者で、僕は後頭部から、かなり出血していたので、助からないのではないか、と思っていたそうです。


看護師の人も、コンビニの女性も、僕はまったく面識がありません。
でも、僕は非常に重大な局面で、その人達は、僕を助けてくれた。




ふと思いました。






もし、その人達と知り合いで、例によって例のごとく、僕が傷つけてしまったり、不快な気持ちにさせたり、顔も見たくない気持ちにさせた場合、彼らは同じように助けるだろうか?


答えはシンプルです。


そう、助ける。知っているから、それ以上に。


人の気持ちを推し量るのは難しい。
時として、人がなぜ自分を避け、嫌うのか分からない時がある。


自分のつたない人間性では、知っている人全てを幸福に、楽しくさせる事は難しい。


でも、孤立を気取っているような幼稚な僕でも、このように、多くの人の助けで生かされ、活動している。


人との関係は、時としてとても複雑で、デリケートで、まるで溺れてしまうような錯覚にとらわれる事もある。


でも、自分は1人で生きているわけではない。


失敗をし、相手にも自分にも血を要求しながら、それでも少しづつ、人を楽しく、幸せにする事が出来るようになりたいです。


人を怒らせる事に怯えるのではなく、でも、人との対話を続けていきたい。




人間性はほぼナノレベルの深度しかない僕だけど、一つだけ自信を持って言える事は、目の前で人が危機的状況にあった場合、どのような人であれ、助けようとする、という事です。




それはおそらく全ての人が持っている基本的人間性だと思います。
だけど、社会の根幹は、その基礎の人間性で成り立っているんだと思います。


基本的な信頼。
人間性の回路(サーキット)






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2011年2月14日月曜日

Talkin' with KANAKO NISHI (vol.2)

KANAKO NISHI :The Empress of [Blanc/Noir]

■チームとエースとアシスト

Q
僕が初めて女子カテゴリーのロードレースを見たのは、2010年3月の熊谷でした。
その時の印象は、人数が男子より少ない、という事もあるのですが、団体戦というより個人戦に近く、シクロクロスの様な展開だ、というものでした。
女子カテゴリーでは戦術的な動き、というのはやりにくいものなのでしょうか?


以前は強い選手が特定のチームにある程度いたので、作戦は幅広くとる事が出来ました。
そういう意味ではロードレース的でした。
ただ現在では、様々な理由により、ある程度強い選手は分散している。
チームの中で、自分だけ、あるいは自分だけしか動ける人間がいない、となると、展開を動かす事が出来ません。


それはなぜでしょう?


一人である、という事は、まず「リスクを冒す」事が出来ません。
ロードレースの戦術は、持てるカードが多い方が圧倒的に有利です。
アシストがいる、という事は、そこでリスクを取り、状況をかき回し、持っているカードの数を増やす事が出来ます。
でも、一人であると、全ての選手は周りの状況を伺うだけで受け身です。
お互い牽制状態のまま、淡々と展開してくだけです。


その状況は、西さんにとってはイヤな状況ですか?


楽ですね。
無線がない、という状況もあれば、現場は混乱状態になります。
基本、一人で状況を展開するのには慣れているので、混乱状態になればなるほど、私は楽な状況です。
皆が同じ条件なので。


でも、世界や、今後の日本の女子選手の状況を考えると、国内経験値の蓄積の場としては、あまりよろしくない?


そうですね。
やはり、ロードは戦術の競技なので。
その経験値が蓄積出来ないのは、良い状況ではありません。
今、国内の女子で、海外で経験を積むには、代表枠に入るしかなく、また、代表に選出される要因も、様々にあるので、そこで外れたら先が無い状態です。
あまりにもオプションが狭く、才能があっても経験値を積む前に脱落してしまう例が多いですね。


レース中に状況を展開する為の、チームの最小人数は、西さんは何人だと考えますか?


3人です。
3人あれば、かなり選択できる作戦が増えます。


3人の選手の力量を、単純な数で例示します。
エースの力を100とする。
残りのアシスト2名の力の配分としては、西さんなら、どちらがいいと思いますか?
(1)アシストA=70 アシストB=70(総量は同じ均等)
(2)アシストA=75 アシストB=65(総量は同じ不均等)


(1)ですね。アシストの能力は均一がいいです。


それはなぜでしょう?


なぜなら、(2)の構成の場合、Aの仕事を、急遽Bが行う事が出来ない場合があるからです。能力的に。
均一であれば、戦術の組み替えが可能で、幅が広がります。



なるほど!それは、すごく新鮮です。
言われてみればそうですね。単純に力のある選手を集める、というだけではないんですね。


もちろん、その均衡レベルが高い次元にある、という前提での話ですけど。



■エースに必要なもの


ランス・アームストロングがツールで7連覇を達成していた時、よくされていた批判が

「金で強い選手を買っている」

というものでした。
西さんに是非伺ってみたかったのは、ここです。
アシスト選手にとって、ある意味、理想的な環境。

・絶対的に強い力を持つエースがいる
・チームの資金力が闊達である
・自分以外にも強いアシストが揃っている

この状況は、一般的な仕事でいえば、理想的で、なんら不満はない状況です。
この場合、エースには力だけが必要で、人間的魅力、つまり、アシストから尊敬される必要はないと考えますか?
競技を経済活動として割り切った場合、パフォーマンスを安定して発揮できるかどうかを伺いたいです。


それはないですね。
エースとの人間関係や、敬意は絶対必要です。
つまり、

「人として尊敬できて好きか」

というのは、とても大きなモチベーションの要因です。

本当の極限状態の場合、そこで更に仕事をするのは、合理性ではなく、「人の心」です。
相手への敬意がないと、最後の淵で、ペダルを踏めません。

だから、本当に泥臭い競技なんです(笑)


社会の縮図ですね(笑)

ランスが7連覇をしていた当時、アシストにかかるプレッシャーも並大抵ではなかったはず。
彼らが楽をしていたかというと、長時間プロトンを支配する必要があったわけで、かなり厳しい状態だったと想像できます。その中で、献身的働きをするには、やはり、最後の最後にはエースへの信頼と敬意がないと無理でしょうね。


理屈や実利だけでは推し量れない、むき出しの人間関係。

だから、一連の展開の中に、我々はドラマを見て、共感できたり、泣いたり、反発したりするのかもしれません。



そうですね。
最後は理屈じゃないんですよね。

「好き」か「嫌い」

その割り切れないドロドロした状況が、展開を勝利にも、敗北にも結びつけるんです。

KANAKO NISHI :Talkin' with Eyes

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

(fin)


日時:12-Feb-2011(sat)
場所:品川/東京

Talkin' with KANAKO NISHI (vol.1)

KANAKO NISHI : The Empress of Flame


日時:12-Feb-2011(sat)
場所:品川/東京

■レース中に考える事



Q
西さんに僕が撮影した写真を始めてお見せした時、

「その時に考えていた事を、ありありと思い出した」

とおっしゃっていました。

レース中にはどんな事を考えているのでしょう?
それとも無心の状態なのでしょうか?


結構色々考えているんですよ。
雑多な、くだらないような事を(笑)


例えばどのような事でしょう?


他の選手の自転車のフレームやパーツを見て、
「あぁ、こういうの使ってるんだ」
とか、
路肩に蛇がいるとか、虫がいたとか(笑)
結構雑多です。


F1のドライバーは、ライン上のクラック一つを識別する、と聞いた事があります。
それと同じような感覚でしょうか?
ポイントとなるモノが、フォーカスされて、大きく目に飛び込んでくるような。


そうですね。そうともいえます。
このヒビ割れに乗りたくないとか、別のラインがいいとか。
日本では、だいたい同じコースを毎年使うので、かなり細かいポイントまで覚えてしまうんですよ。


面白いですね。
極小のクラックがフォーカスされるんだけど、意識は様々な方向へ開放されていて、他の選手の機材や、ウェアみたいなものまで拾っているんですね。
アンテナを全体に広げていて、時々ひっかかるポイントが、ぐっと引き寄せられるような感じなんですね。


でも、一度アタックすると、急に視界が狭くなるような感じで、その事だけに集中します。
そういう状態に入る、とも言えるかもしれません。


なるほど、とても興味深いです。
雑多と仰っていたアタック以外のシチュエーションの、意識が開放された状態。
これも、決して散漫になっている訳ではなく、格闘技でいう間合いの状態なんですね。
状況を制御するのではなく、水のように様々な状況に瞬時に対応できる
「力の抜けた」
状態を作っていらっしゃるのかもしれません。
逆に、アタック時では、意識の範囲をもっと狭め、そこに必要な情報のみにフォーカスする。
確か、禅も、そういう状態の繰り返しと聞いた事があります。


そうですね。
雑多な事であっても、やはりレースに関した事だけ考えているので、その範囲はレースからは離れていないんですよ。


(続く)Vol.2 

2011年2月9日水曜日

Alternative Mode

別府匠選手を始めて見たのは、NHKの2008年の番組でした。


様々な趣味の入り口を、その趣味に関心のない人向けに紹介する番組だったので、作りは若干色物的であり、


「アスリートの人って、こういう紹介されるのは、内心ではあまり嬉しくはないのかな?」


と思って見ていました。

Japan Cup 2009のチームプレゼンテーションで、偶然、前から2列目という好条件で、200mmのレンズでそのポートレイトを撮影する機会があり、改めて見ると、とても強いオーラと視線を持った人だと感じました。

やはり印象的なのは、その目です。


TAKUMI BEPPU :molt Adagio

If You Love Somebody, SET THEM FREE.



歌舞伎の役者は、演技の多くを目で語るので、とても強い視線を持っているのですが、匠選手も、それと同じ空気感を持っています。


NHKの番組とはまったく事なる、トップエンドに身を置くアスリートの凄みを感じました。


レース中の匠選手を撮影したのは3回。

Japan Cup 2009
J-Tour 2009 飯田
全日本ロード選手権2010

前述の2回のレースを撮影して感じたのは、レース中に表情がほとんど変わらず、状況を冷静に判断するクレバーな選手、という印象です。

TAKUMI BEPPU :Voice of SIREN

表情が変わらないのは、決して苦しくないからではないでしょう。
様々なレーサーの表情をみていて、すごく苦しそうな形相になる方もいれば、匠さんのように冷静で、熱量を内に秘めた表情の方もいます。
選手ごとの特性ですね。


全日本ロード選手権2010では、僕は山岳ポイントで撮影をしていました。

オーダーのあるプロという訳でもなく、特定の選手のファンという訳でもない僕は、プロトンが接近してきたときに、ファインダーで70mmぐらいのワイド端にしながら、どの選手にロックするか瞬間に判断します。

それは明確な基準があるわけでもなく、方程式があるわけでもなく、あえて言うなら、

「プロトンの中で一番目に飛び込む力を持っている選手」

言うなれば「直感」です。


その時、プロトンの進行方向に向かって左手に位置していたブルーのジャージの選手にロックしました。

文字通り、浮き上がって見えたのです。

通過を連射し、200mmの画角からアウトするまで追いつつけました。

ブルーのジャージだったので、愛三の選手だとは分かっていたのですが、通過後にプレビューで確認しても、どの選手なのかまったく判断できませんでした。


撮影後、ゴールに移動する時に、WLRRの女性にプレビューを見せて確認してもらいました。

その方も当初分からず、しばらくプレビューを眺めた後に


「匠さん?」



TAKUMI BEPPU :Fortissimo



今まで見た事のある内に秘めたクールな表情ではなく、ある意味、泥臭いともいえる、なりふり構わないエネルギーの発散。

僕はその表情を見て、全日本というレースが持つ格式を強く感じました。
全日本ロード2010で最も気に入っているショットの一つです。

昨年の9月、Twitterで匠選手が誕生日だと呟かれていました。
その時のメッセージで、全日本の時の写真を、お見せする事ができました。
その際に友人が

「この写真のように、来年も全力で戦っている姿が見たいです。」

とメッセージを送ると、匠選手の返答は

「いつでも全力で戦っているつもりです(笑)」

と苦笑混じり。




2010年12月27日

匠選手は現役を退き、新たな挑戦として監督となる事を公表されました。


昨日、知人が僕が昨年の写真で作った写真集「NOT LOVE BUT AFFECTION」を見て感想を呟いていました。


「まったく見た事のない、見ていると辛い表情だけど、もうこの一瞬は見られないのかと思うと、撮っておいて下さって本当によかったと思います。」



TAKUMI BEPPU: Inferno!!



写真は残酷だと良く言われます。

それは真実のみを記録し、隠しておきたい影も全て白日のもとにさらし出されてしまう。

「だから、あなたの写真は嫌いだ。あまりにも生々しく遠慮がないから。」

と言われる事も多い。


この写真を見た時、

「せっかくハンサムな被写体なのに、わざわざこのショットを写真集に選ばなくても」

と思う人はとても多いと思います。

でも、僕は純粋にこの表情がとても美しいと思っています。
誓って、好奇の視点ではない事は確かです。


なぜなら、僕はこの表情が、このレースに賭ける匠選手の、駆け引きなしの「素顔」だと思えるからです。


匠監督になられた今思うと、この時の、この表情は、いろいろな意味を持って僕の心に迫るものがあります。


人の写真を撮る事は、いつも罪の意識があり、意味がない行為だと言われると、確かにそう感じる事が多い。


誰もあなたのしている事を望んでいないと。


でも、現役を退かれる選手に写真を渡す時、いつも罪の意識は薄らぎ、少し晴れがましい気持ちになります。


それは写真が「残酷な真実」ではあるけど、それは反面、「紛れもない真実」でもあるからです。


その人が本気で挑み、戦い、輝いていた記録として。

そして、少なくとも僕はそんなあなたを見ていた、というメッセージとして。

2011年2月6日日曜日

Over and Over Again

ある人と話をしていて、

「華を持つ人」

の話題になりました。

・ここぞ、というポイントで結果を出す。
・常時結果を出す訳ではない。絶対にここは外せない、というポイントでだけ、結果を出す。

絶対に人に負けないポイントを持っていて、そのポイント以外では冴えないけど、ツボにはまった時には鬼神の強さを発揮する。

ツボにはまった時と、外れた時の落差が大きければ大きい程、人はその人に魅力を感じる。

もちろん、強さを発揮する領域を得る為には、努力も才能も絶対必要ですが、そのツボをかぎ分ける才能は「嗅覚」としか表現出来ないもので、それはかなり先天的な資質だと思われます。


以前のエントリーで「天賦の才」について話をしました。その才能を持つ人達は、

・先天的に対象の資質がある。

のではなく

・先天的に、対象の流れの中で「ポイント」を見抜く嗅覚がある。

と言い換える事が可能かもしれません。


でも、以前にも話した通り、先天的資質で高レベルに到達した人というのは、自分の立ち位置を見失いがちです。

スポーツでも、勉強でも、仕事でも、芸術でも、

その世界の中での自分の立ち位置が分かれば、壁も見えて、自分になにが足りないのか、なにを努力すればいいのか、が分かる。

でも、その世界の高さを低くしか見られなかった場合、世界は自分の足下にあり、出来る努力は「自分の立場を維持する事」だけに思えて空しくなる。

若くして人気を得て成功したアスリートや、役者、芸術家の多くが、その後の成長を待たずに表舞台から消える事が多いのは、その為だと考えます。



ボクシングを描いた漫画作品の中で、こういう台詞がありました。


厳しい練習というのは、科学的な効率だけで行っているんじゃない。
どんなロジックも消し飛ぶ苦境というのは、リングの中では絶対にある。
その絶対の苦境の中、最後に自分を支えるのは「自信」だ。
厳しい練習を積み重ねてきた、という「自信の厚み」が、逆境の中で最後に拳を支える力になるんだ。



結局、全ての努力も、科学も、効率も、その「自信」を裏付け、厚みをつける為だけに存在します。


若くして大成した場合、自信は出来るけど、その自信には根拠がない。

あるのは、漠然とした「嗅覚」という感覚だけ。
それをどのような逆境でも、立場でも研ぎ澄ますには、結局、時間をかけた練習しかない。

でも、自分の前に「壁」が見えないと、その膨大な労力を傾注する裏付けにならない。

アスリートの場合は、それがより高い次元(全日本レベルであり、全世界レベル)であり、芸術家の場合は、より高い次元の自己の研鑽だったりするのでしょう。






プロアスリートの一番大事な仕事は、

「壁に挑む姿を世間に示す」

事だと思います。


もし、スポーツ観戦が、ただのコロッセオでの享楽の提供から進歩がないのであれば、現代にはプロアスリートは死滅しているはず。

単なる闘争本能の代替行為ではない。
逆境にあって、挑み、そこで自分を磨く姿に、人々が、畏怖と尊敬の念を抱くからです。

だから、僕はロードレースやシクロクロスを観戦している人は、観戦しない多くの人よりも、ずっと学んでいる事が多いはずだと思います。

「彼らはすごい。自分なんかとは違う」

のではなく、

「すごい彼らですら、苦境に挑み、自分を追い込んで逆境から逃げない」

のを感じて欲しいのです。

「才能のない自分を嘆く」
「弱い自分を嘆く」

それはとても簡単で、とても甘美な誘惑です。
それ以上、考えなくてもいいから。

でも、「才能」は遺産でもあるけど、持つだけではなんの効果もない。
それを支えている多くの葛藤や努力がある。

せっかく世界最高の教材を見ているのに、それを感じられないのは、とても不幸な事です。

最高レベルの才能のあるアスリートでも、それだけでは一瞬で淘汰されてしまう。
そこに至っては、才能は、逆に足枷でしかない。

目、口、足、腕、頭、心。

持てるリソースは誰も変わりない。
腕一本でも、頭だけでも、
苦境にあって、挑む姿を見ていたいし、そこから学びたいと思います。
何度でも









YU TAKENOUCHI :Agitanto

NO SURRENDER

SHINICHI FUKUSHIMA/TOMOYA KANO : THE KERBEROS NEST

CHIKA FUKUMOTO :Maze