2012年4月30日月曜日

魔物の心臓


初めて全日本ロードレース選手権を見たのは2010年6月。
広島だった。

全日本は、それまでに見た僅かな経験での比較でしかないけど、他のレースとは「まったく異質な存在」だった。

僕は、その「異質さ」を言葉で表現する術がない。

通常と異なるプロトンの動きとか、視線の動きとか、KOMでもアタックが入った時点で、一瞬で視界からライダーが消える神経質な動きとか、

「事実」を列挙する事はいくらでも可能だけど、その事実を「言葉」にした途端に、全日本選手権が持っているソリッドな文脈が、消えていく気がするのだ。

ロードレースは、様々な人を惹きつける。
その美麗さであったり、ドラマ性であったり、戦略性であったり、
惹きつけられるものは人それぞれだ。

最初に見た全日本の、森林公園の蒸し暑く不快な森の中で、僕が感じたのは
「恐怖」
だった。

スポーツというよりも、「捕食」とも言える削り合い。

近代スポーツがラッピングして、無菌にして、見せないようにしている、人の原始的な闘争本能。
それがそのまま目の前にむき出しにされているように感じた。

まるで目の前に魔物が立ち、尖い鉤爪で、自らの胸を裂き、脈打つ心臓を引きずり出して、それを見せられているような体験。

それは「心臓」という概念ではなく、魔物の手の上で、脈打ち、血を吹き出し、引きちぎられていない幾ばくかの血管は、まだ魔物の裂けた胸につながっている。






レース後、シマノのテントで、土井雪広選手に以前の写真を手渡した。
その時の彼は、消沈というのでもなく、落胆というのでもなく、硬直した表情で、それでも無理に笑顔をつくり、ファンの女性の求めに応じてサインをしていた。

写真を手渡し、撮影の許可を求め、ポートレイトを撮影させていただいた。


この時の表情は、僕がレースで感じたような、魔物の心臓を見つめているかのような表情だった。

消沈し、放心しているのだが、目が死んでいない。
怪我をし、追い詰められた獣は、捕食される瞬間にこんな目をするのではないかと思った。


ファインダーからこの目を見つめ、目にフォーカスロックしている時、音が聞こえてきた。

「カタカタカタカタ……」

その音は、僕の指がシャッターの上で震えている音だった。


THE THIN RED LINE


その目がまるで、僕の目の前に出された脈打つ心臓のようでもあり、
そして、そこを光学的記録に収めようとする自分の罪深さが怖かった。




その年の11月。

あるレストランに土井選手がいらっしゃると聞いて、新幹線に乗って大阪に向かった。
バッグの中には、額装したこの写真が入っていた。

確認してみたかったんだ。
自分はなんの為に、人の写真を撮影しているのか?
それは罪なのか?
それは自己満足なのか?


「...6月の全日本、ゴール後、写真をお渡しした時の表情です。覚えていますか?」

「覚えています。うん、覚えています。」

「...オレ、この時、なにを考えていたのかな?(微笑)」


少しだけ話をして、写真を渡し、すぐにレストランを出た。
目的は果たしたし、一人になりたい気分だった。
大阪の街はとても寒かった。

その時の目は、もう追い込まれた獣でも、脈打つ魔物の心臓でもなかった。
柔和で社交的な、朗らかな目だ。

写真を見つめる目は、喜びとも興味とも違う。

たぶん、僕が6月に見た心臓を、時間を置いて、今彼が見ているのだ。


結局、新幹線の中での自分への問いは分からないままだった。

それはやはり、本質的に罪深い行為であり、
それは自己満足である事には変わりはない。


6月の全日本の時、僕は魔物が差し出す脈打つ心臓に怯えながらも、その噴きだす血から、目が離せなかった。

それは立派な理由ではない。

単に「僕が」見たかったからだ。


引きこまれ、翻弄され、そして気がついたら、自分で自分の血の吹き出す心臓を見ていた。

2年後の昨日。

土井選手の目には、どんな心臓が写ったんだろう?







Championships