「なんでも出来るのに自分に自信がないの?」
と聞かれました。
確かに仕事を遂行する能力は比較的あるような気がします。
でも、おそらくその能力の反作用だと思われますが、僕には、
「人の気持ちを推し量る能力」
が致命的に欠落しているようです。
仕事の世界では、人は実利に基づいて行動しているので、様々雑多な感情のノイズが混じるとはいえ、その行動の帰結は予想可能なのですが、プライベートの人の感情は、そのパターンには当てはまりません。
真っ当な人は、子供の時から様々なパターンを蓄積して、「人間性のサーキット(回路)」を形成して大きくなるのだと思いますが、幼少時から奇人として育った僕には、その経験がなく、蓄積の機会を逃していました。
去年から、様々な方面で、多くの人と知り合い、その人達は、とても親切に「人の道」を説いてくれます。
多くの場合、自分で検証し、それを吸収しています。
ただ、自分の皮膚感覚で理解不能な事は、様々な方向から、質問をして検証し、あげくその相手を怒らせてしまいます。
ある人は、
「普通、人は、些細な事をパターンとしてそれ以上は考えない。その些細な事を、あまり問い詰めると、いわゆる「引く」状態になる」
と言っていました。
数日前、その愚行をまた繰り返してしまい、とても反省していました。
おそらくその人は、異文化どころか生態系が事なるモンスターを見たような不気味な感覚を持った事でしょう。
かなり凹みつつ、会社近くを出勤する為に歩いていました。
すれ違った男性に、いきなり声をかけられました。
「よかった!もう体は大丈夫なんですか?」
スキンヘッドで恰幅の良いスーツ姿のその男性は、僕は見覚えがありません。
おそらく、昨年の交通事故の事を仰っているのだと思い、現状はもう問題がない事をお伝えしました。
「失礼ですが、私はあなたに面識がないのですが、事故を目撃された方でしょうか?」
「そうです!私は近くの介護事務所の者で、事故の時、ウチの看護師が処置したんです。ご無事そうで本当によかった!」
その人は大きな手で僕の手をとり、ガシガシとシェイクします。
すごく不思議な気分です。
事故の後、事故前に寄っていたコンビニに、飲み物を買いに行きました。
レジの女性が、僕を見てびっくりし、急に泣き出しました。
彼女は目の前の事故を見て、その看護師さんと一緒に、血だらけになった荷物を拾ったり、救急に電話してくれたそうです。
事故は10トンのトラックと歩行者で、僕は後頭部から、かなり出血していたので、助からないのではないか、と思っていたそうです。
看護師の人も、コンビニの女性も、僕はまったく面識がありません。
でも、僕は非常に重大な局面で、その人達は、僕を助けてくれた。
ふと思いました。
もし、その人達と知り合いで、例によって例のごとく、僕が傷つけてしまったり、不快な気持ちにさせたり、顔も見たくない気持ちにさせた場合、彼らは同じように助けるだろうか?
答えはシンプルです。
そう、助ける。知っているから、それ以上に。
人の気持ちを推し量るのは難しい。
時として、人がなぜ自分を避け、嫌うのか分からない時がある。
自分のつたない人間性では、知っている人全てを幸福に、楽しくさせる事は難しい。
でも、孤立を気取っているような幼稚な僕でも、このように、多くの人の助けで生かされ、活動している。
人との関係は、時としてとても複雑で、デリケートで、まるで溺れてしまうような錯覚にとらわれる事もある。
でも、自分は1人で生きているわけではない。
失敗をし、相手にも自分にも血を要求しながら、それでも少しづつ、人を楽しく、幸せにする事が出来るようになりたいです。
人を怒らせる事に怯えるのではなく、でも、人との対話を続けていきたい。
人間性はほぼナノレベルの深度しかない僕だけど、一つだけ自信を持って言える事は、目の前で人が危機的状況にあった場合、どのような人であれ、助けようとする、という事です。
それはおそらく全ての人が持っている基本的人間性だと思います。
だけど、社会の根幹は、その基礎の人間性で成り立っているんだと思います。
基本的な信頼。
人間性の回路(サーキット)
