2011年2月24日木曜日

Interview through the Finder

僕はハードウェアとしての自転車に興味がありません。

時間があればロードにも乗るのですが、道具という以外に特に愛着もない。
ロードレースの写真を撮影している一番の理由は、競技に身を置いている人に興味があるからです。

だからそれが「自転車レースの写真」というフォーマットとして邪道であろうと、僕が撮影する時には、無意識で選手だけにフォーカスして、自転車はカットしています。

昨年暮れ、マトリクスの阿部選手とお話出来る機会があり、お願いをして、話ながら写真を撮影させて頂き、そのお話をFlickrに掲載させて頂きました。

お話を聞きながら、タイミングを見て、ファインダーをのぞき、シャッターを切る。
視線を見ながら、話の方向性を考えて、フォーカスポイントと露出を決定していく。

最初、至近距離からレンズを向けられたら、緊張されるのではないかと思っていました。

ただ、それは阿部選手の胆力からか、話が白熱していたからか。
途中から、僕がカメラなしで話しているのと、ファインダー越しに話しかけているのを、ほとんど意識されていないようでした。、

ファインダーを通して、ポートレイトとして相手と対峙する時、フォトグラファーと被写体の間には独特の空気感があります。


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まず信用を得ないといけない。

いきなりコンタクトを取り、いきなりレンズを向ける事は、あり得ないし、可能であったとしても、それは良い結果にはなりません。

僕はアマチュアなので、正直に、駆け引きなく、相手への敬意や愛情を伝え、その作業を事前に積み重ねます。

著名人を撮影して、話を聞き、それによって名声を得たいのではなく、本当に個人的興味からで、その時の印象を出来れば人に伝えたい。
つまり、

「その人を紹介する」

のではなく

「私というフィルターを介して見た、その人の印象を伝えたい」

という動機です。

結果的にそれは、被写体を利用している、という人もいるでしょう。

でも、人に興味を持ち、その人の話を聞きたいと思う気持ちは、おそらく人間に普遍的に存在する基本的社会欲求だと思います。

その気持ちにブレがなければ、僕はまだ人に話を聞く事が出来そうです。


僕はそれほど会話に対する能力に恵まれているわけではなく、どちらかというと、事前に構築された考えを、人に伝える事の方が得意で、会話中のランダムな状態から言葉を選ぶのはとても苦手です。

考えてから言葉にするリードタイムを嫌い、頭の中に流れる言葉をそのまま口に出し、剪定しながら会話を紡ぐ為、同じ言い回しをいろいろ変えたりして何度も繰り返す癖があります。

会話の洗練度からするとそれがデメリットではあるのですが、ファインダー越しにインタビューしている時は、けっこう緊張した空気感になり、綺麗な流れの言葉の構築よりも、ジャズの即興演奏のように、言葉を次々にスクラップ&ビルドしていく方が、僕はお互いに考えが整理しやすいように思えます。

そう、その時の感覚は、まさにジャズのimprovisation(即興)。
お互いの投げかけるフレーズに、ある時は呼応し、ある時は方向をずらしながら。

スカイプで人と話をする時、ある程度真剣に話す時には、ビデオ通話にするのですが、それも相手の表情が見えないと、読み取る情報量が減るので、理解しづらいからです。

ファインダーは、それをかなり推し進めて、微細な表情の変化が分かる。

「あなたには写真を撮られたくない」

という人は多いけど、それはそこまで踏み込もうとする無遠慮な姿勢を嫌っての事だと思います。

ただ、僕は、話を本気で聞きたいと思う時は、それはティーラウンジでの洗練された会話ではなく、本当に本心から相手に自分を晒して、その返答を見たいと思います。

それは相手の心を剝き出しにする行為ではありません。

どちらかというと、自分の心を剝き出しにする行為です。


ある意味、会話をしながらのポートレイトは、自分の中での理想の写真の場で、どのような激しいレースの写真よりも、自分にとっては生々しく迫るものがあります。

饒舌な会話は技術的に洗練させる事が出来ると思いますが、たぶん一番重要な事は

「正直である事。自分の気持ちを飾ったり、偽ったりしない事」

それが僕にとっては、肖像写真の一番重要な要素です。



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If You Love Somebody, SET THEM FREE.

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

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