著名人にサインをもらいたいと思った事はありませんでした。
元々、サインというものが何を意味するのかも分からず、漠然と
「著名人と会った記録」
みたいなものかな、と思っていました。
日本の景勝地に時々ある記念スタンプみたいな印象ですね。
最近になって理解したのですが、それって写真と同じですよね。
「その人を記録する」
そう考えると、僕がサインを欲しいと思わないのは、写真を撮るからだと思います。
8日に、昨年お世話になった知人と食事をしました。
僕が昨年末に個人的に制作したロードレースの写真集を持ってきて頂きました。
彼女はいくつかのレースやイベントで、その本に記載されている選手に、それぞれのページにサインをもらっていたので、それを見せてもらうためです。
それぞれの方のサインを見て、不思議な感慨がわきました。
以前書いたように、自分にとって、「肖像写真」というのは
「その人に向けての自分の手紙」
に等しいものです。
今、自分が向けた手紙をいろんな人が見て、それにサインをしている。
サインをもらった時の様子を、知人がいろいろ教えてくれます。
「えっ、なにこれ!めっちゃ欲しい!」
「私、ちゃんとしたサインがないんでちょっと恥ずかしいんですw」
「えっ、これどこ?どこで撮ったの?」
驚かれながらも、喜んでサインをして下さったとの事。
そうですね。それは手紙に対する返信みたいなものです。
人に気持ちを伝えるのに、様々な手段があるけど、やはり、「形」のある手段は説得力を持つし、それに長い時間にわたって残る。
知人に写真集を差し上げた時、
「サインもらおうかな?でもサイン帳じゃないから失礼ですよね?」
と彼女は言っていたのですが、今になって思うと、この写真集は、実は、サインが入った状態で完成と言えるのかもしれないですね。
様々な筆跡の返信の束をテーブルに置いて、ファインダーで見つめながら、そんな事を考えていました。