2011年1月7日金曜日

Portrait of Women(st-1)

昨年、Ustreamで、友人によって行われたインタビューのテーマは

「女性の肖像」

でした。

その時の内容

1.女性の肖像写真を撮影するのは苦手。

2.なぜなら、男性である自分は、男性に対してより、女性に対して踏み込む事が出
        来ない(=より大胆なエフェクトを加える事が出来ない)

3.なぜ、踏み込めないか? という議論には、放送中は結論が出ず。

4.教育の問題、倫理観、いろいろ上げられたが、後日、インタビュアーとの雑談の中で、
        「女性は輪郭が丸いから、シャープなエフェクトが加えられないのでは?」
        との意見が出て、方法論だけの問題との結論。


5.女性の美しさ、というのは何か?

        →造形的問題だけではない
        →華道では、綺麗なだけでは「美」ではない。清濁併せ持つものが「美」
        →なぜそれが「美」か?
        →清濁併せ持つ事が、生物としての多様性を表し、
        「生命としての強さ」=「原始的なアピール」
        につながっているのではないか?

という事でした。



レースの写真の撮影を始めた2008年末から、2009年12月ぐらいまで、女性を撮影する事はほとんどなく、被写体はほぼ男性ばかりでした。

その当時は無意識でしたが、今理由を考えてみると

1.まず、女性カテゴリーのレースが関東以外では少ない。

2.女性アスリートを撮影する行為は、その当時、世間ではビーチバレーの選手に対        しての無遠慮な撮影が問題になったように、なにか後ろめたさを感じる。

という事だと推測します。

その時まで、NOT LOVEに登場した女性は、わずか3名。

ただ、2009年の全日本シクロクロス選手権(金沢)で状況が一変します。
始めて見た女性カテゴリーのレースで、しかもシクロクロス。

シクロクロスは、ライダー自体にフォーカスしたい僕にとってはうってつけの種目です。

・自転車レースなのに、自転車に乗らない区間がある
・低速でより接近しやすい


金沢は泥のレースで、泥まみれになりながら、前を見つめて戦う女性の姿は本当に美しく、NOT LOVE 2009の全体の約40%が全日本シクロで、その中の65%近くが女性です。このレースを境に、被写体としての女性が急増します。

AYAKO TOYOOKA :piano forte


NOZOMI NAKAMICHI: Pietà

Die Brünhild mit Schlamm

MASAMI MORITA :Presto

CHIKA FUKUMOTO :Presto


この時点では、確かに、まだ女性を撮影する事に対して遠慮はあるのですが、始めて被写体としての女性を認識し、とても惹かれている時です。


なぜ、その姿を美しいと思ったのか?


アスリートが持つ美の一つには、当然


「突き詰めた強さ」


というものがあります。
アスリートとしての男性と女性を見比べると、面白い事に、女性の方が、その「強さ」が剥き出しで、認識しやすいんです。

アスリートとしての男性は、なぜか「儚い」部分をどうしても感じるのですが、
アスリートしての女性は、「生命としての強さ」を痛感します。


それがなぜか、今はよく分かりません。

少し考えてみる為に、この話は、次回へ続きます。


(to be continued)

MASAMI MORITA :Le Blanc Suprême-7