畑中勇介選手を始めて意識して見たのは、2009年全日本シクロクロス(12月)でした。
実際に始めて姿を見たのは2009年10月のJapan Cupで、記憶ではその時、山岳賞を獲得されています。
Japan Cupの時は、畑中選手をかなりの数撮影したのですが、その個性的な雰囲気と、攻撃的な走り以外は、失礼ながら、それほど印象に残っていませんでした。
(もっとも、その時期、日本で走られている選手をほとんど知らなかったという事もあります。)
全日本シクロで走る畑中選手は、すごく僕の目を惹きました。
成績自体はDNFでしたが、全身から発散される「楽しい」という気持ちがとても印象的でした。
担ぎ上げのセクションで、多くの観客から、「オレ8!」と声援やヤジ(?)を受け、破顔する。
レースが終わった時に、当時、まったく選手と会話したことがなかった僕が、意を決して、「お疲れ様でした!」とファインダー越しに声をかけると、「ありがとうっす!」と破顔する。
成績から見たら散々だったはずですし、レース中に笑顔を見せるなんてロードではない事でしょう。
でも、見ていると、冷やかしとかで出ているのではない事が分かります。
「楽しい」という気持ちを指でなぞり、その気持ちをかみしめながら走るような感じです。
以前書いた福本千佳選手の「楽しい」、という生来のオーラとはまた違う。
最近になって、その年の畑中選手の状態がとても良くなかったと聞きました。
今、思うと、それは
「もう一度原点に戻って、自転車の楽しさをなぞって思い出す」
という気持ちだったのかもしれません。
好きな事が職業になるのは理想的だと多くの人は思います。
でも、職業になるからこそ、本来の「好き」という気持ちを忘れてしまいます。
趣味であれば、時間と場所と気分を選べますが、職業は単発の享楽ではなく、毎日のマラソンです。
連続して安定した状況を作り出さなければいけない為、状態の悪い時にも結果を出し、またある局面では、更に追い込みたいのに、自分のボーダーを下げなければいけません。
趣味の時にはなかった「制約」に縛られるんですね。
いつしか、その「楽しい気持ち」を忘れてしまう。
もちろん、心の中心で「好き」だから、競技を続けるんでしょうけど、でも、表面的には、その気持ちを見失ってしまう事が多いです。
でも、面白いと思うのは、多くの場合、好き勝手にする趣味より、様々な制約のある「職業」という足かせは、同じ分野でも自分をさらに高いレベルに上げてくれます。
制約があるからこそ、自分の得意ではない、あるいは自分の状態が良好でない時に結果を出す為に工夫するんでしょう。
そして2010年。
初戦の熊谷クリテリウム。
畑中選手は優勝されました。
その時に運良く、シクロの写真を直接お渡しする事が出来ました。
「オレ、キタネー!でも嬉しいっす!」
とまた破顔される畑中選手。
表彰式を待つシートに腰掛けている畑中選手をファインダー越しに見て、とても印象が変わっているのに気がつきました。
たった3ヶ月前のシクロの時は、どちらかというと天真爛漫な少年的な表情だったのですが、その時は、自信に裏打ちされた大人の表情でした。
青年という表情でもなく、技術と経験を兼ね備えた大人の表情です。
そして4月の東日本GP。
ここでも優勝。
表彰式の後、インタビューを受けている表情はさらにシェープされ、見ていると、怖いぐらいの表情です。
2010年、畑中選手の表情は、レースを追う毎に研ぎ澄まされ、「強い表情」になっていくのが印象的でした。
畑中選手は「華」という才能を持っていると思います。
多くのファンは、彼を見るだけで気持ちが高揚し、応援したくなります。
その才能は、多くの場合天性のものですが、技術や自信や葛藤に裏打ちされて、自然に巨大化していく才能です。
例えば、才能のある喜劇役者は、その人が舞台に現れるだけで観衆が沸きますよね。
それは役者の知名度ばかりではなく、容姿が面白いのではなく、その役者が
「場を支配する力」
を持っているからです。
一般にオーラと言われるものですね。
ロードは駆け引きの競技なので、「場を支配する力」というのはとても重要なスキルだと思います。
今後、どのような選択をされるのか、とても興味がある選手です。
見ているだけで力をもらえる満面の笑みは、ずっとそのままなんでしょうね。