2011年1月6日木曜日

Expression

人の表情はとてもデリケートなものです。


特にファインダーで見ている人の表情。
レースではなく、正面から人を撮影した時、その表情の移ろいは、自分との距離感でもあり、とても捕らえるのが難しい。

手のひらに落ちた淡雪みたいに、1秒の時間が長く感じます。

2010年のシマノ鈴鹿ロードで、あるチームの撮影をさせて頂いた際、チームの方から

「どんどん指示して撮ってください!」

と言われたのですが、その時になって、人を正面から撮影する事の難しさ、恐ろしさを痛感しました。

その時まで、人物の写真を撮り、それに自分の印象を乗せてレタッチする事に、なんら躊躇いがなく、自分も目標に誘導する事は普通だと思っていました。

ただ、正面から写真を撮る時、視線やポーズを要求するのは出来ませんでした。

もしかしたら、それは正面切っては自分の意見が言えないような卑怯な感情なのかもしれません。

その時は分からなかったのですが、いろいろあった今になって考えてみると、

<レタッチしている時>
その人が発散した熱量、その印象を忠実に再現する為に、光学的表現では再現できなかった側面を表現しようとしている。

という事だと思っています。

つまり、その人物の印象を表現する手段としてレタッチがあり、その時には自分の主観要素が全面に出てもいいが、撮影時に、その人の意図と違う要素をノイズとして入れたくない。

たとえば、相手に、ある動作を要求した場合、それは相手の自由意志ではなく、表情は死んでしまう気がするんです。

職業的被写体の場合、要求により表情を作るスキルがあるのですが、それは僕が求めているポートレイトとは違います。

でも、興味深いのは、指示をしなくても、自分の存在を消す、というのとは違うんです。

初対面であっても相手に信頼されなければならず、その為には自分を偽ってはならない。
そして、会話の流れ、時間の流れの中で、表情は常に移ろいゆく。

その時、その人の表情がどのように移ろうのか見つめているのは、とても刺激的な経験だし、レース自体を撮影しているよりも、はるかに緊張感を伴い、半分呼吸する事も忘れている事が多い。


人の表情がとても興味深いと感じたのは、シマノ鈴鹿ロード2009のポディウムに立つ別府史之選手を撮影した時です。


その時は、まだ写真を始めたばかりで、自分がどういう写真を撮りたいのかも分かっておらず、あまり写真を撮る意味を見いだせていませんでした。


別府史之選手はその年のツールドフランスに出走され、シャンゼリゼ・ステージで敢闘賞を獲得。その凱旋レースでした。

別府史之選手を実際に見たのはこの時の鈴鹿が始めてです。

それまで写真を見た印象では、柔らかい印象の、穏やかそうな、優しそうな青年、という印象でした。


でも、ポディウムで見た時、それまでの写真で見た印象とはまったく違い、強い意志を持った、ある意味、「揺るぎのない」表情だと感じました。

長い欧州生活で培ったものなのか、あるいはツールでの経験で、なんらかのブレイクスルーがあったのか。


ファインダーで見ている彼の表情は、随時変化し、確かに、それまで見た事のある表情も多いのですが、全ての表情の底には、やはり強い意志が垣間見え、そして、その時、最後に撮影した表情は今までにまったく見た事のなかった表情でした。


<撮影時のオリジナルjpeg>
FUMIYUKI BEPPU



特に気負っているわけでも、劇的な表情でもなく、とてもニュートラルな表情なのですが、彼が通過してきた道や葛藤みたいなものが垣間見えるような気がします。
ちょうどモナ・リザの肖像のように、見る人により、また見る人の気分により、いろんな見方のある表情です。


その時に感じた印象をずっと反芻していて、半年後にモノクロームにしたもの。

<モノクローム変換>


FUMIYUKI BEPPU  :Le Blanc Suprême-45


印象は「経験と成長」だったので、陰影はどちらかというときつく、汚れのように。
これは、僕がその時にもった印象そのものです。



人によっては、これは罪深い愚行と写るかもしれません。
でも、その時にファインダーで見ていた印象は、まさに色が抜けた音のない世界のようでした。



その時も、今でも、別府史之さんとは言葉を交わしてはいません。
今自分が追求している「相手と対面し、その印象を記録する」というテーマ以前の撮影です。

自分が会話して、そして作り上げた関係はそこには投影されていません。
だけど、それは要求した表情でもない。

表情は一期一会の物で、今は当時より、技術的にも人間的にも成長していると思いたいのですが、同じ表情は絶対に撮れないと思います。


人の表情は、本当に多くの情報の宝庫です。そして、それは受け手の数だけ正解がある。


ずっとこの写真はご本人に渡したいと思っていて、念願かなって友人の協力により、昨年のサイクルモード大阪でお渡しする事が出来ました。
(僕は交通事故の影響で行けませんでした)


自分からの直球の手紙でしたが、とても喜んでくださったそうで、終了後、Twitterで

“Special Thanks to You!”

のメッセージを頂いた時は、ずっと、自分が葛藤していきた事が一つ完結した気がして、とても救われた気持ちでした。


僕が人の表情の写真、というのに真剣に取り組もうと思った原点のショットでもあり、とてもニュートラルな表情なので、その時の自分の心情を表現するのに、たぶん、この先も挑戦し続ける題材だと思います。

迷った時には見返して、自分の原点を確認しています。

原点だけど線分上の通過点ではない、

ある意味、この時だけ撮れた到達点でもあります。

FUMIYUKI BEPPU :Adagio :take-2