Photogenic: 【形容詞】
<人・笑顔などが>写真写りの良い。
(類語として、テレビ写りが良いのは、Telegenic)
フォトジェニックという言葉は、誰もが知っている言葉ですが、改めて考えてみると、謎の多い言葉です。
「写真写りの良い」という形容詞。
つまり、
「写真で見た時に、魅力が増加する」というのはどういう事でしょう?
映像というものは人それぞれの美的感覚により、評価は千差万別です。
だけど、面白い事に、人を撮影した写真の場合、対象がフォトジェニックであるかどうかの基準は、割と全ての人が近いように思えます。
・フォトジェニックは造形的完成度の高さを示す形容詞ではない。
ファッションモデルを見ると分かりますが、顔の造形が高い次元でバランスの取れた人は、印象に残らない事が多いです。
その造形が記号的な「表情のテンプレート」としてしか記憶されないため、長い時間、記憶に留めておく事が出来ないんですね。
モデルの人は、どこか表情の造形のバランスが破綻している方が記憶に残りやすいし、より写真として映えます。
想像ですが、バランスが若干崩れる事がノイズになり、全体が流動的になって、静止的なバランスの頸城から解放されるからかもしれません。
目撃証言を取る時、証言者がもっとも思い出しにくいのは、美男美女だと聞いた事があります。故にアサシンとかには美形は向いているのかもしれません。
そう、つまり、フォトジェニックとは
「造形の完成度」
ではなく、
「記憶に残る造形」
に対する形容詞なのです。
2010年のジロ・デ・イタリア。
多くの人が記憶に残っているのは、全てのレーサーが泥にまみれたステージ。
ジロでなくても、パリルーベやフランドル等は、泥にまみれたレーサーの表情が、フォトジェニックとされています。
泥をフォトジェニックと称するのも、鍛えられたロードレーサー達が、苛酷な状況の中におかれて、状況に抗って戦う姿が美しいからでしょう。
それはある意味、異性に対してのセックス・アピールにも近いものがあるのかもしれません。
(ここで述べるアピールは、あくまで観念的なもので、直接的造形がセックス・アピールを持つ事とは別問題です)
社交的で華やかで、社会的にも私生活でも成功している人間、というのを想像すると、あまり魅力を感じませんよね?
影がある男性、女性がセクシーだと称される事が多いのは、その調和のバランスが崩れて、動きが見えるからです。
これは観念的な基準だけど、写真でのフォトジェニックは、観念の世界である魅力を、端的に映像として提示したものだと思っています。
ある意味、万物に対して「フォトジェニックさ」というのは存在すると思うけど、やはり人間に対してが、一番身近で分かりやすいんでしょうね。
人間を撮影した写真。考えれば考える程深くて、恐ろしくて、興味深いものです。