2011年6月22日水曜日

残らないもの

スポーツの世界は、現実世界の極端な理論モデルに見えます。

たゆまぬ鍛錬、犠牲、どれほどの節制を積み重ねても、残るものはリザルトという現実のみ。

例えば、テレビで完全に中継されるワールドカップのようなメジャースポーツですら、時間という洗礼の前に、リザルトという竜骨(キール)だけを残し、肉体は、太古の遺跡のように人の記憶の根底に沈んでいく。

10年前のツールの優勝者を即座に答える事の出来る人はいても、10年前のツールの3位を即座に答えられる人は少ない。

長期的には、勝利と敗北しかないゼロサムゲームだとも言えます。

報道される映像や写真は、キールを補足する筋肉の役目を果たす。

リザルトに肉付けをしていく。

もし、単なるアマチュアである僕が写真を撮影する意味があるとすれば、筋肉ではなく、皮膚や思考を残す事かもしれない。

何年もしてから、その写真を見た人が、まるで肉親の昔の写真を見たときのように、その息遣いや、膝に抱かれた感覚、別離の痛みを感じられるような記録が残せたらいいと思います。

それは美しい瞬間だけではないかもしれない。

でも、美しいリザルトだけでは、その人が失意の中から抜け出した葛藤は分からない。
谷底があり、そして山を克服するから人の人生は美しく、だからロードレースは美しいんだと思います。


それは文章で行うべき行為なのかもしれない。

でも、言葉を持たず、全てを追う事の叶わぬ僕には、やはり刹那の写真が一番適していると思っています。





そして、今週土曜日から日曜日までは、全日本選手権。






僕が今年撮影する最後のロードレースです




If You Love Somebody, SET THEM FREE.
If You Love Somebody, SET THEM FREE.