スポーツの世界は、現実世界の極端な理論モデルに見えます。
たゆまぬ鍛錬、犠牲、どれほどの節制を積み重ねても、残るものはリザルトという現実のみ。
例えば、テレビで完全に中継されるワールドカップのようなメジャースポーツですら、時間という洗礼の前に、リザルトという竜骨(キール)だけを残し、肉体は、太古の遺跡のように人の記憶の根底に沈んでいく。
10年前のツールの優勝者を即座に答える事の出来る人はいても、10年前のツールの3位を即座に答えられる人は少ない。
長期的には、勝利と敗北しかないゼロサムゲームだとも言えます。
報道される映像や写真は、キールを補足する筋肉の役目を果たす。
リザルトに肉付けをしていく。
もし、単なるアマチュアである僕が写真を撮影する意味があるとすれば、筋肉ではなく、皮膚や思考を残す事かもしれない。
何年もしてから、その写真を見た人が、まるで肉親の昔の写真を見たときのように、その息遣いや、膝に抱かれた感覚、別離の痛みを感じられるような記録が残せたらいいと思います。
それは美しい瞬間だけではないかもしれない。
でも、美しいリザルトだけでは、その人が失意の中から抜け出した葛藤は分からない。
谷底があり、そして山を克服するから人の人生は美しく、だからロードレースは美しいんだと思います。
それは文章で行うべき行為なのかもしれない。
でも、言葉を持たず、全てを追う事の叶わぬ僕には、やはり刹那の写真が一番適していると思っています。
そして、今週土曜日から日曜日までは、全日本選手権。
僕が今年撮影する最後のロードレースです