2011年6月2日木曜日

ツールド熊野2011 :歓喜というムード

あなたがもし、ロードレースを実際に見た事がないのなら、

特にステージレースを見た事がないのなら、

最終ステージ後のポディウムを見る事をお勧めします。




僕は今までポディウムを撮影した事はほとんどありません。

ソリッドなレースのシーンこそ自分が見たいシーンだし、それに僕でなくても多くのフォトグラファーがポディウムを撮影している。

だから、自分が撮影しなくても十分に堪能出来ると思っていたんです。

最終ステージ終了後、かなり疲労していたので、今回もポディウムはパスしようと思っていました。

ただ、あまりに苛酷なレース環境だったため、それをくぐり抜けた選手の表情はどんな感じだろうと思い、雨で曇ったレンズを交換し、ふらりと撮影に行きました。
(その時は、もうプレス章すら返却していました)

ファインダーから400mmの視点で選手達の表情を見て驚きました。

なんて生き生きして、生命力にあふれた表情なんだろう。

レースの時の生命力とは違う。



達成した者の自信と安堵。

達成できなかった者の葛藤。

ポディウムから自分を支えたチームメイトを見つめる目


それぞれが歓喜の奔流となって、ステージに渦巻いている。
達成できなかった苦悩の表情さえ、それは解放の歓喜を表している。


僕はいつも、撮影をする時、機械のように無感覚で、流れる情報を処理して撮影していました。

でも、この時は、流れ込んでくる選手達の歓喜の渦に胸が熱くなりました。





写真を始めてとても面白いと思った事。


それは、いつもの風景を、写真として見る眼になった事です。

写真を始めた人は、景勝地や、イベントなど、ハレの舞台で撮影したいと考えます。

写真の本質は記録なので、素晴らしい場所を記録したい、という欲求は至極当然ですよね。


僕にとって、レース中の雰囲気こそがハレの舞台でした。

でも、フォトグラファーの眼を通して見渡すと、実は普通の風景にも素晴らしい瞬間はたくさん含まれている。

僕が毎年桜を撮影するのは、近所の病院の裏にある小さな公園です。

あまりに小さくて、近所の方でも気づいていない人は多いと思います。

でも、その桜の枝ぶりはとても美しく、どんな名所の桜よりも僕は美しいと思います。


そう。


「決定的瞬間」は

「作り出す」のでも

「探し出す」のでもなく、

「ただそこに見つかる」




今までその意味がよく分かっていなかった有名な言葉。

その意味は、熊野で始めて分かりました。





「この世界には、 決定的瞬間を持たないようなものは、何ひとつとしてない」 



アンリ・カルティエ=ブレッソン


4日間、苛酷なステージを戦った、全てのサイクリストと、全てのファンと、全ての関係者に。



SAKURA-Filled 1

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