モノクロームと聞いて、多くの人が思い浮かべる色はセピアだと思います。
セピアは元々、イカの墨から作られる絵の具の意味だそうです。それがあの甘い褐色の色彩になるんですね。
モノクロームは単一色彩表現という事なので、色は別にショッキングピンクでも、ヴァイオレットでもいいのですが、伝統的にモノクロに使われる基本トーンは
ブルー
銅(カッパー)
セレン
セピア
イエロー
の階調で再現される事が多いです。
モノクロフィルムの特性なのか、焼き方から来ているのかは分かりません。
「サイクリストの肖像」をモノクロームで初めてから、様々な色調を試してきましたが、セピアだけは、昨年暮れまで使う事がありませんでした。
写真の素人から見て、モノクロ写真というのは、とても難しそうだという認識がありました。
モノクロの写真は、モノクロームになっている(だけ)のものもあり、なんというか焦点がぼけている感じがしたのです。
モノクロームになっている事が目的で、インスタントにモノクロームの記号(アンティークさ)を纏っている感じです。
モノクロの写真で最初に印象に残ったのは、大学生の時に美術館で見た、ロバート・メープルソープによる様々な裸体の写真でした。
とてもソリッドで力があり、その時までモノクロというと、過去のパリ万博とかの写真、ぐらいのイメージしかなかった僕のモノクロに対する見方を変えました。
(かと言って、写真をしようとはずっと思わなかったのですがw)
たぶん、それもあって、アンティークと密接に結びついている色であるセピアを選択しなかったんだと思います。
それを選択する事で表現が弱くなると考えたのです。
「サイクリストの肖像」で、初めてセピアを採用したのは、宇都宮ブリッツェンの廣瀬選手の写真でした。
このシリーズに取り組む時は、ライブラリの中から写真をブラウズして、インスピレーションを感じた写真の印象を、一番表現できる色調とライティングを考える事から作業が始まります。
通常、この作業は15分に満たないのですが、この写真はとても時間がかかりました。
様々な色とトーンを考えてみてもしっくりせず、1時間考えて、最終的に選択したのはセピアでした。
その当時は、どうして選択したのかよく分かりませんでした。
なんとなくしっくりきたから、としか分かりませんでした。
今思うと、廣瀬選手の持っている「艶」みたいな雰囲気を表すのに最適な色だったんだと思います。
セピアは対象の質感にもよるのですが、奥行きとMellowさの色です。
使ってみると、当初、そんなに毛嫌いしていたのが嘘みたいに、自分の求めるものにしっくりきます。焦点の定まらない感じもしません。
面白いですね。
セピアを避けていたのは、
「モノクロームの象徴への反発」
という僕の主観。自分の都合と思い込みです。
でも、
「被写体に一番最適な色、そして自分が感じた印象を表す」
のがそもそもの目的だったのに、それを忘れていたんです。それを忘れて、自分だけの視点だったんですね。
簡単に言うと、
「反逆する事(変革である事)がクール」
だという青い気持ちを持っていたんです。
連綿と続く伝統というのは、それに盲目的に従っているだけでは邪魔で無駄なものに感じる事もある。
でも、100年という短い時間であっても、時間を経て、尚生き残っている手法とうのは、意味があるから生き残っているんです。
僕は芸術家ではなく、エンジニアで、なにかを表現するという事に長けているわけではありません。
だけど、表現する事って、写真であっても、いろんな側面があって、奥深く、興味深く、恐ろしいです。
立ち位置を見失うと、自分が大きな奔流の中に溶けて消えてしまいそうになります。
だからこそ、自分の考えで「立つ」という事がとても大切なんです。
RPGのキャラクターが、転職を繰り返し、様々なスキルを身につけるけど、最後はオールマイティーの、ぼんやりしたつまらないキャラクターになってしまうように。
反応速度とスピードだけに特化していて、防御力と攻撃力は最弱。
そんなキャラに自分を育てたいです。