2011年5月12日木曜日

As a Professional Way

一つの道を追求してその最高位を得た方。

その方が仰っていました。

「プロというのはその道で生活できてプロ。私はそれが出来ていないからプロではない。」

またある方が仰っていました。

「写真を撮ってそれを人に見せて、それだけだと意味がないでしょう?
作品として自信があるなら、それをお金に出来て始めてそれが作品の評価なんじゃないかな?」



プロフェッショナル(Professional)の意味は、

[形容詞として]
1.職業(上)の、職業的な
2.専門職の (知的職業の)
3.くろうとの (対義語)amateur

[名詞として]
1.(知的)職業人、専門家、プロ選手
2.(仕事の)熟練者、くろうとはだしの人

となります。


僕の以前からの疑問は、Professional Way というのは、必ず収入を伴うものでなくてはならないのか?という疑問でした。

もちろん、[収入を得る手段=低俗]というプッチーニのオペラに出てきそうな貧乏な画家の台詞ではありません。

Professionalである事に、収入が必須条件か?

という素朴な疑問です。


そう感じたのは、以下の事例からです。

1.業界平均以下の能力を持つ職業的組織人。
        日々組織、メソッド、自分を変えようとは思わない。
        望みは安楽に現状維持
        だが、その人の生活は、職業の収入で成り立っている。

        その人はプロか?

2.業界平均以上の能力を持つ職業的組織内システムエンジニア。
         彼は震災の寄付を募るWebサイトのシステムを構築する。
        望みは被災者への少しでも多くの寄付金。
        そして日々そのサイトの発展の為に努力する。
        だが、彼はその構築からは収入を得ていない。
        完全なるボランティア。

        その人はアマチュアか?


その疑問の為、以前から興味があったP.F.ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読んでみました。


本の内容というのは、人それぞれの判断によって違うので、あえて内容の紹介はしません。
ここに書くのはあくまで、僕が感じた感想です。

複数のプロフェッショナルの定義があげられていますが、僕が感じる所があった
「プロフェッショナルの条件」。


1.結果を出す

        結果を出さない行為が趣味です。

2.イノベーション(変革)を続ける

        結果が奇跡によるものなら、結果は再現不可能で、それはアマチュア的です。
        原因を分析し、再現可能な状態にして始めてプロフェッショナル的手法です。

3.社会からのフィードバックがある。

        結果が自己完結したらそれは、やはり趣味であると思います。
        フィードバックは様々な形態があります。

        (a)報酬等、兌換性のある価値での補充
        (b)名声、応援、感謝等、兌換性のない価値での補充

        
人は必ず社会とつながっており、出来れば社会に貢献出来る人間でありたいと願っています。

職業は「価値の生産」でもあり、社会に価値を生み出して、社会に貢献し、そこから得た報酬により税金を支払い、また社会へ価値を拠出します。

ボランティアは直接的社会への貢献であり、そこから得る報酬は、不定形の兌換制のない価値です。
無報酬故にそれは「趣味人の娯楽」かというとそうではなく、職業と同じように社会に価値を創出しています。

スポーツの場合、結果を出す事により、自己と取り巻く社会(ファンであり、コミュニティーである)に価値を創造しています。
結果を出す事により、それは十分、プロフェッショナルな行為と言えます。



個人的な感想。

収入を得る為の職業は、自分の持つスキルの中から、最大の投資効率を持つものを選択すべきだと思っています。

例えば僕の場合、それが写真の撮影ではないという単純なお話です。
それは取り組む姿勢が劣っているとか、そういう問題ではありません。
自分の強みを最大に生かせて、かつフィードバックが最大のものが、今の職業だからです。

なぜ、人はボランティア等の手段を通じて社会に貢献したがるか?

職業という世界の中だけでは、時に自分を客観視する事が難しい事もあります。
常に追い風という事はあり得ない。

その時に、自分は別の手段でも社会に貢献出来る、という実感があると、それは人生の幅であり、心のゆとりでもあります。

社会的価値の創出は仕事からだけではない。

これは趣味を持つ事が人生を豊にする、という事ではありません。

社会に貢献出来る手段を複数持つ事が人生の選択の幅を広げる、という意味です。

人によっては、職業よりも、スポーツや写真や、あるいは舞台等の比率を高めたい、という場合もあるでしょう。

理由は

1.対象のコミュニティーからのフィードバックを得たい
2.対象のコミュニティーの中での地位を確立したい

という場合であり、この目的の為に、職業の比率を減らし、生活サイズを縮小するという選択でもあります。
(劇団の人とかがそうですね)

その領域を職業にしている人にとっては

・プロフェッショナル=職業的

であり、対義語が

・アマチュア=未熟で価値の劣るもの


という図式になりがちです。

だけど、人が求める価値は違い、その分野を追求する姿勢と、その品質は、兌換的価値の取得に依存するものではありません。



自分の中の目安は

「思考が安定を求めたら、それはプロフェッショナルとしての危険信号」

だと思っています。



一面広がる平野の中で、自分の位置を常に確かめながら、少しずつ進む選択こそプロフェッショナル的姿勢です。



Field of Yellows 35