本当の芸術家は食うために何かを作らない。
作るために食って生きるのだ。
小説/蜘蛛の紋様1
芸術家という呼び名は、日本ではあまり良いイメージがない。
・芸術家気取り
・中二病
たいていは
「本道からドロップアウトした残念な人」
という意味で使われることが多い。
Artという言葉は、芸術という意味の他に「人文科学」という意味も持つ。
日本で言う「文系/理系」は “Art/Science”。
僕のイメージでは、
サイエンス(科学)
=物事の成り立ちと構造を追求する
アート=(人文科学/芸術)
=サイエンスが提示する構造に、文脈(コンテキスト)の肉付けを与える。
つまり、KYOKOが見た情報を記憶するプロセスを解き明かすのがサイエンスだが、
KYOKOの記憶により彼女が追憶を感じる事を、他者に共感させるのがアートだ。
スティーブ・ジョブズは、その起業時から晩年まで一貫して
「目的は、いろんな制約の垣根を外し、情報によって人を開放する事」
と言っている。
Appleへの復帰後、若干神格視されてきた彼だけど、これは変わらない彼の姿勢だと思う。
経営者としての彼を評価するとき、メディアは
「今世紀最大の経営者の一人だが、そのカリスマ性のあまり後継者が育ちにくく、企業永続性の基礎を築けたかは疑問」
と評価する事が多い。
訃報を聞いて、
「彼はずっと「経営者」という感覚ではいなかったのかもしれない」
と感じた。
彼にとって、「情報による人の開放」というヴィジョンが全てであり、Appleの事業自体は、その為の道具でしかなかったんだ。
そういう意味では、彼は生粋の「芸術家」だと言える。
芸術家に「清貧」と「純真」を求める人も多いが、「作品(ヴィジョン)」の為に、自分の全存在も環境も利用するのが芸術家で、ベクトルの違う博徒や実業家とも言える。
「作品(ヴィジョン)」の為には多額の資金と力が必要で、その為には呵責なく勝つ必要があるのだ。
なので、通常のビジネスのルールが、彼には適用されず、一度は失敗し、環境から放逐され、そして戻って全てを書き換えた。
強いビジョンを持つ作家や経営者は、作品の流れが舞台的な流れを持つので、わかりやすくドラマチックだ。
AppleがAppleであるから、
シリコンヴァレーはビジネスの主戦場というより、まるで昼メロやオペラの愛憎劇のように下世話な面白さがある。
ジョブスの強烈なヴィジョンに翻弄され、かき回され、反発し、迎合し、
かつて、F1が絶大の人気を誇った時代、そして、今のロードレースの人気のように、「人の営みの、生き生きとした面白さ」があるのだ。
Appleが人に夢を与えのは、そのビジョンが共感される、というのももちろんだけど、ブラックホールと超新星をあわせもったような強烈な重力とエネルギーが、
「なにか変わるかもしれない。」
と人に思わせるからだ。
閉塞感にまみれた苦痛な日常よりは、とりあえず無理矢理にでもサイコロをふって、壊してくれる暴君が快感なんだと思う。
エヴァンゲリオンの最初の映画が公開されようとしていた90年代後半、ニューズグループの書き込みがとても印象的だった。
「オレは絶対エヴァなんて認めない。なぜから……」
という書き出しで、彼は膨大な量の「認めない理由」を書き出していた。
なんと強い作品への愛だろう。
愛され、庇護される事を選ぶ芸術家もいるだろう。
だけど、中立がおらず、信者もアンチも巻き込んで巨大なエネルギーの奔流に変えて目的へ登っていくのが、僕は「本当の芸術家」だと思う。
彼は死ぬときも劇的だった。
ジム・モリソンやジョン・レノンのように。
ちょっとズルイなと思いつつ、天使も悪魔も巻き込んで、今後も天国でヴィジョンを目指して欲しいと思います。
やんちゃが過ぎて天国から追放されたら、再び”one more thing”を聞かせてください。