June 26, 2011 at 8.10am
「間もなく自転車レースの集団が通過します。沿道の皆様の応援をよろしくお願いします。」
「先導車」と僕が呼んでいる先触れのオフィシャルカーのアナウンスが、のどかな田園内の一本道の先から聞こえてくる。
この場所に到着したのは、7:20am。
到着後に機材の動作チェック、光量のチェック、待機しているコーナーの状況を確認しているので、直前は特にする事もない。
6月下旬の八幡平は、朝の気温が18度と肌寒いぐらいだ。
天気が懸念されていたけど、雲の流れは速く薄い。天候は持ちそうに思える。
先導車の通過にあわせて、iPhoneのラップタイマーをスタートさせる。
別にタイムを記録しているわけではないんだけど、ラップ数を記録していないと、周回コース、かつ男女混走の状態では、先頭の場所も分からなくなる。
先導車で記録をつけるのは、必ずプロトンの先頭に来る事、アナウンスで判断が容易な事、そして、プロトンの接近時にはファインダーを見ているので、計測できないからだ。
周辺を見回すと、観客は20人程度。オフィシャルとチームのサポートスタッフを除けば、純粋な観客は4人ぐらい。
全日本選手権の観客動員は、他の国内レースからすると多いとはいえ、JapanCupの密集した熱狂とは比べ物にならないぐらい少ない。
そして、多くの人は、スタート地点にいるので、最後の上りに入るこの直角コーナーには、なおのこと人がいない。
田園の中の一本道から逃げる3名が見える。3名だとこの距離では無音。野鳥のなく声と、木の葉が風にゆらぐ音だけが聞こえて、シュールな光景にも見える。
そして、その30秒ほど後方からプロトン。
こちらはさすがに人数が多いので、遠距離でもチェーンとホイールからの独特のサウンドが、遠雷のように静かに聞こえてくる。
シャ、シャー、シャー、シャー、シャ、シャー
撮影位置に選んだのは、右に90度曲がるコーナーのイン側のポールから、1m程度後方のガードレール内側。
カットインして最後の上りに立ち上がる選手の表情を下から捉える予定。
シャ、ジャャー、シャー、ジャャー、シャ、ジャャャャャー
このコーナーイン側には、様々な看板と標識があり、ライダーのロック地点から、フレームアウトするまでの時間は0.5秒程度だと思う。
だから、重要なのは、「状況にあわせて撮る」事ではない。
誰を撮影するかを道路横からの望遠で決めた後に、すぐポジションに付き、もしそのライダーが被ったり、アウトにラインを変えたら、そのラップを捨てるぐらいの意識でいいはず。
2秒あれば状況に合わせる事も可能だが、0.5秒では目的以外は全て捨てる必要がある。
その時の目的は別府史之選手だった。
写真を始めたきっかけが彼でもあり、彼のシリアスなレースを見る初めての機会でもあったからだ。
ピーナツぐらいの大きさだった逃げの3人が、ナゲットサイズになった時にファインダーで露光を確認する。
逆光気味になるので、暗めの草地で測光した結果、ファインダーに表示された数値は
ss 1/1000
F14
ISO2400
1/1000のシャッター速度の時に、F10前後になるようにISOを調整するのが経験からのセオリーなので、現在の光源だとISOが高い。1600にダイヤルで調整する。
June 26, 2011 at 8.16am JST
ファインダーのセンターのフリップにライダーを二度三度テストロックして追随を確認する。
大きさはいよいよホットドッグ。
ジャァ!ジュジュジュ!ガチャ!ジュジュジュ!
このような見晴らしの良い直線では、プロライダーの走りでも、前方から見ていると、スピード感はあまり 感じられない。
ただ、自転車レースは被写体との距離がとても近いので、10メートル手前からのスピード感はモータースポーツを上回る。それは、前方から狙うよりも、横を通過するライダーを高速にパンしながら追う僕のスタイルからかもしれない。
前方5メートル。看板に遮られる直前。別府選手は2番目の位置。
そして、看板に入り、そこからパンドラの箱の魔物のように選手が飛び出す。
ジャァ!ジュジュジュ!ガチャ!ジャーーーーーーーーーー
最初にロックする瞬間、この瞬間は、一番アドレナリンが放出される瞬間。
0.5秒なんてレンジは日常生活で意識する事はない。
でも、ファインダーでロックする瞬間、なにかのスイッチが入り、0,5秒は1分程度に引き伸ばされ、ライダーの動きはスローモーションのように感じる。




逃げているライダーは視線はあまり移動しない。
ただ、その動かない視線の、さらに微妙な動きをトレースしているとき、自分が走っているわけでもないのに、ライダーの鼓動と同期したような不思議な感覚になる。
逃げは0.5秒で視界から消え、そしてプロトンが迫る。
とりあえずファインダーで流して撮るが、そのショットが納得の行くものでない事はわかっている。
狙いがないからだ。
今の逃げとプロトンのタイムギャップから、プロトンで新たに狙いを決めるのは難しく、確認出来るギャップが開くまで、逃げだけを狙う事に決める。
プレビューで全体の露出確認だけを行い、次に接近する女子の先頭に備える。
ここから6時間近い長いレースが始まる。
ウェストバッグから、エナジーバーを取り出し、立ったまま無言でかじる。
たぶん、レースの写真を撮影していた理由の一つは、この1秒以下の邂逅がとても刺激的だからだと思う。
八幡平まで来るのに、6時間新幹線に乗り、そこから1時間車を運転し、ケータイの電波すら入らないロッジで二晩すごし、6時間田園の真ん中の看板の裏に立ち続け、それでも撮影で集中している瞬間は、トータルでも2分ないぐらいだ。
経済性で考えたら、これほど割に合わないものもないだろう。
でも、膨大な準備、調整、鍛錬が、わずか1秒以下の時間軸に凝縮されるような刺激的な体験は、普通に生活していたらなかなか得られない。
その背筋がゾクゾクする感覚は、今まで人と共有した事がなかった。
最後に言葉に残したくてトライしたが、その気持ちが、あなたに伝わるかどうか僕は自信がない。
単なる「道楽」といえばそれまでだけど、僕にとって「道楽」とは、享楽的な楽しみではなかった。
与えられた遊びではなく、そこには確かに自分にしか見えない世界があって、自分でないとその瞬間は味わえなかった。
そこに立ち続けるのはとても苦しく、精神も磨り減るものだけど、その「瞬間」を感じられたのはとても幸せだったと思う。
ある人は言った。
「苦しくても続けているのなら、それは好きという事なんじゃないかな?」
今の僕はこう思う。
「楽しい(fun)でも、興味深い(interest)でもなく、それでも人はなにかに熱病に冒されたように邁進する事がある。」
それは「自分が生きている事」のモデル化。
人生を1秒以下に凝縮する事で、生きている意味を確認する行為。
この気持ちを、一昨日他界した古い友人に捧げます。