2013年12月11日水曜日

[LE FUSIL DE CHASSE] 全日本シクロクロス選手権2013 マキノ

《十字架を背負いゴルゴダの丘を登るイエスの群れ》



初めてロードレースの映像を見たのは2003年のツールドフランス。
100周年記念大会だった。
ラルプ・デュエズの登り、USPのロベルト・エラスがランスアームストロングを引く。

イギリス訛りのアナウンサーが、坂を登るサイクリスト達をこう称したのだった。
(もしかするとそれは僕の記憶違いで、僕がそう感じただけかもしれない)

登りよりもTTの方が面白いと思っていた。
スピード、奇妙なバイク、そして奇妙なヘルメット。

登りなんてスピードはゆっくり、そして皆が苦しそうにゆっくりゆっくりと登っていくだけ。
だけどイエスと十字架の例えでサイクリスト達の表情を見ていると、本当に宗教的な隊列に感じた。
そして不思議だけど、興奮した。

考えて見れば、何かを背負い、苦難に身を置き、そして一歩づつ進む行為はミッション(布教)そのものだ。

宗教的な奇跡はとてもシンプル。
死に近づき、死をくぐり、そして蘇る。

多くの奇跡、そしてドラマの筋書きは全てこの三つに集約される。

「死からの復活」は、人の原始的な麻薬なのだろう。

だからラルプ・デュエズでも、モン・ヴァントゥーでも、古賀市林道でも、人は登りに詰めかけるんだろう。

自分も聖者の末席に列するために。



初めてシクロクロスという競技を見た時、自転車を担いで階段を登る選手を見て驚いた。

その姿はまさに十字架を背負い丘を登るイエスのようだった。



[LE FUSIL DE CHASSE] JAPAN CYCLOCROSS CHAMPIONSHIP 2013 MAKINO


なんで自転車を担ぐのか?なんで走るのか?なんで飛ぶのか?
疑問だらけだったけど、何年か見ていて気が付いた。

ロードレースのゴールは自転車に乗っていなくてもOK。担いでも、引きずっていても良い。
自転車レースは《自転車に乗る為の競技》ではなく、《自転車を道具に使った人間の競技》なのだ。


必要な時にはそれは一丁の猟銃(LE FUSIL DE CHASSE)になり、必要ない時は只の重荷(THE WEIGHT)になる。


その十字架だったり猟銃だったりを担ぐ姿を眺めているのが楽しくて、全日本選手権という晴れ舞台なのに誰もこない日陰の階段の上で白い息を吐きながら、じっとミッションに趣く宣教師達の隊列を見ている。

レースの展開も分からない。
選手の名前すらほとんど知らない。
人と会話もしない。
応援すらしない。

ただじっと見ているのが好きだし、たぶん僕はこの世界では異端なんだろう。

でも、好きだ。