そもそも自転車レースのなににそれほど惹かれたんだろう?
寝る前にヨガで呼吸を整える時に、ぼんやり考えていた。
言葉で思い浮かべるのではなく、頭の中にある漠然としたイメージを手繰り寄せて遡る。
それは「目」だった。
勝利者の歓喜の目ではなく、逆境にある人間の目。
思い至らずに、
遅れて、
逃して、
だけど、その目は力を失っていなかった。
それを感動した、と語る事は難しい。
ファインダーでその視線を見た瞬間のイメージは、今でも全てのシーンが焼きついている。
「指輪物語」の中で、小人が水晶玉の中に魔王サウロンの黄金の目を見た時のように、力や恐怖や圧倒的な圧力で、それは僕の心の深い部分に穿たれている。
心が沈み落ち込む時、僕が見た黄金の目のイメージが、ぼんやり心に登ってくる。
逆境にあり、なにを見ているのか。
見るその先は、
このレースのゴールか?
次のレースか?
次のシーズンか?
自分の人生か?
力を与えてくれるという優しさでもなく、燃やし炊きつける力とも違う。
単純に、純粋に
「ワタシハタタカウ」
「タタカウガユエニ ワタシハソンザイスル」
アスリートの心は僕には分からないが、その時につけたテーマは
“But for struggles, Life would have no meaning.”
(抗わぬ人生に意味はない)


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