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2011年6月16日木曜日

Unforgetable

ツールド熊野 第2ステージ


この日、Ready Go JAPANの坂口聖香選手を撮影して欲しいと、とある方から依頼されていました。

特定の選手を狙って撮影した経験が無いため、レース前からけっこう緊張していました。

いつものスタイルは、ちょうど居合いのようなイメージで、やってきた選手を、とっさに捕らえるというものです。

プロトンの中から、特定の選手を、定点で狙う、というのはとても難しい。

選手の位置は複雑に移動するし、複数の選手と入り交じっている。

しかも、今回は、ほぼ男女走といってもいい状態で、女子だけの状態よりも、圧倒的に視認性が低くなる。

その不安を持ちながら、ファインダー越しにいつものようにプロトンを追っていました。
おそらく女子の上位が登ってくるであろう時間を計りながら。


坂口選手が現れた時、まったく唐突なタイミングでした。

僕の撮影ポイントは、KOM下500mの180°コーナー。

彼女は、実業団の男性ライダー二人の陰からコーナーに接近し、完全に僕からの死角でした。

そして、コーナー手前で、一気に男性二人をパスし出現。

赤いジャージを視認したので、レンズを向け、倍率を調整しながら、懸命に追います。
視界から消えるまでは、1秒以下。

その時のショットは、空気を裂くように出現した坂口選手を、懸命に捕らえようとする痕跡が残っています。



【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17942

【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17943

【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17945

【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17946








この日、女子のレースは、この1周だけ。

結論から言うと、僕の惨敗です。

後から反省をしてみました。

コーナーで撮影するのは僕の定番なんですが、この日は、まず捕らえる事が優先で、それならば、コーナー立ち上がりではなく、視界が広く確保できるその手間の直線を取るべきでした。

それならば、まず遠方から視認して、位置は確認できます。


僕はアマチュアですが、どのような過程であれ、人から信頼されたオーダーに対しては、やはり失敗を最大限回避する姿勢で臨むべきでした。
自分の望む絵ではなく。


翌日の台風の中の第3ステージ。

前日の反省から、まず、絶対確実な直線位置から、完全に姿を捕らえた次の週、自分の望むアングルで撮影しました。


If You Love Somebody, SET THEM FREE.

最終的には納得がいくショットになり、安心しました。




でも、不思議なんです。


もっとも印象に残り、脳裏に焼き付いて離れないのは、第2ステージ、二人の男性ライダーの陰から出現し、雨の重い空気を切り裂くように一瞬で消えた映像なんです。

ブレも倍率も意識せず、懸命にファインダーで追い続けたその時、その刹那の時間でも、ファインダーから見た、闇に浮かび上がる深紅のジャージはとても鮮烈でした。

映像的に見たら、完全に失敗したショットです。

でも、その時の空気感は、僕にとってはとても忘れがたい瞬間です。

たぶん、それはフォトグラファーでないと分からない瞬間。

前に、ポートレイトはお互いの呼吸と書きました。

レースのシーンでも、ある意味同じです。

動きを見極め、そして追う。

懸命に捕らえようとしたファインダーから、雷光のように浮かび消えるその瞬間。


If You Love Somebody, SET THEM FREE.







不思議と自分にとって、熊野でもっとも印象深いシーンでした。







2011年2月20日日曜日

Talkin' with TAKUMI BEPPU

IMG_6369

Q
友人が、何回か匠さんにサインをもらったので見覚えがあるかと思いますが、昨年、僕が撮影した写真で作った写真集です。
表紙の史之さんは、09年の鈴鹿ロードで撮影し、僕が本気で写真に取り組もうと思った切っ掛けになった写真です。
匠さんの写真は、全日本の時に撮影した写真です。
僕のそれまでの匠さんのイメージを覆す、本能むき出しの表情で、人に対する見方がとても変わった一枚です。

A
覚えています。
僕はいつも真剣に走っているつもりなんですが(笑)

Q
でも、基本ポーカーフェースでしたよね(笑)
その後、引退を表明されたのを見て、なにかこの表情も、いろいろな御決意が現れていたのかな、と想像していました。

A
そうですね。
不思議ですね。
プロトンには多くの選手がいて、高速で通過していく。
それなのに、あなたがこの瞬間を捕らえたというのは、とても不思議な気持ちになります。
縁、みたいなモノがあるんでしょうね。

Q
そうですね。
ロードの写真は、基本狙って撮影出来るものではないと思っています。
どのように優れた技能を持つプロでも、やはり最後は縁(運)に左右される。
縁がなかったら、僕も、多くの人も、あなたのその時の気持ちを知らなかったかもしれないですね。

A
本当に。

Q
以前、匠さんが、Twitterで、
「現役の時は、自分を追い込むジョギングしか出来なかった。引退してから、やっとゆっくり走る事が出来た」
とTweetされていたのがとても印象的でした。
現役は退かれたけど、自分を見つめる幅が出来たという事なのかもしれないですね。

A
ええ。
現役の時は、がむしゃらに追い込んでばかりで、あの感覚はとても新鮮でした。
ゆっくり走るなんて考えた事もなかったんですが(笑)
良い事なんだと思います。

Q
切っ掛けになったお二人に写真をお渡しできて本当によかった。
これからもご活躍を。

A
ありがとうございます。


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20-Feb.-2011

伏見/名古屋
愛三レーシング ファン交流パーティー

2011年2月14日月曜日

Talkin' with KANAKO NISHI (vol.2)

KANAKO NISHI :The Empress of [Blanc/Noir]

■チームとエースとアシスト

Q
僕が初めて女子カテゴリーのロードレースを見たのは、2010年3月の熊谷でした。
その時の印象は、人数が男子より少ない、という事もあるのですが、団体戦というより個人戦に近く、シクロクロスの様な展開だ、というものでした。
女子カテゴリーでは戦術的な動き、というのはやりにくいものなのでしょうか?


以前は強い選手が特定のチームにある程度いたので、作戦は幅広くとる事が出来ました。
そういう意味ではロードレース的でした。
ただ現在では、様々な理由により、ある程度強い選手は分散している。
チームの中で、自分だけ、あるいは自分だけしか動ける人間がいない、となると、展開を動かす事が出来ません。


それはなぜでしょう?


一人である、という事は、まず「リスクを冒す」事が出来ません。
ロードレースの戦術は、持てるカードが多い方が圧倒的に有利です。
アシストがいる、という事は、そこでリスクを取り、状況をかき回し、持っているカードの数を増やす事が出来ます。
でも、一人であると、全ての選手は周りの状況を伺うだけで受け身です。
お互い牽制状態のまま、淡々と展開してくだけです。


その状況は、西さんにとってはイヤな状況ですか?


楽ですね。
無線がない、という状況もあれば、現場は混乱状態になります。
基本、一人で状況を展開するのには慣れているので、混乱状態になればなるほど、私は楽な状況です。
皆が同じ条件なので。


でも、世界や、今後の日本の女子選手の状況を考えると、国内経験値の蓄積の場としては、あまりよろしくない?


そうですね。
やはり、ロードは戦術の競技なので。
その経験値が蓄積出来ないのは、良い状況ではありません。
今、国内の女子で、海外で経験を積むには、代表枠に入るしかなく、また、代表に選出される要因も、様々にあるので、そこで外れたら先が無い状態です。
あまりにもオプションが狭く、才能があっても経験値を積む前に脱落してしまう例が多いですね。


レース中に状況を展開する為の、チームの最小人数は、西さんは何人だと考えますか?


3人です。
3人あれば、かなり選択できる作戦が増えます。


3人の選手の力量を、単純な数で例示します。
エースの力を100とする。
残りのアシスト2名の力の配分としては、西さんなら、どちらがいいと思いますか?
(1)アシストA=70 アシストB=70(総量は同じ均等)
(2)アシストA=75 アシストB=65(総量は同じ不均等)


(1)ですね。アシストの能力は均一がいいです。


それはなぜでしょう?


なぜなら、(2)の構成の場合、Aの仕事を、急遽Bが行う事が出来ない場合があるからです。能力的に。
均一であれば、戦術の組み替えが可能で、幅が広がります。



なるほど!それは、すごく新鮮です。
言われてみればそうですね。単純に力のある選手を集める、というだけではないんですね。


もちろん、その均衡レベルが高い次元にある、という前提での話ですけど。



■エースに必要なもの


ランス・アームストロングがツールで7連覇を達成していた時、よくされていた批判が

「金で強い選手を買っている」

というものでした。
西さんに是非伺ってみたかったのは、ここです。
アシスト選手にとって、ある意味、理想的な環境。

・絶対的に強い力を持つエースがいる
・チームの資金力が闊達である
・自分以外にも強いアシストが揃っている

この状況は、一般的な仕事でいえば、理想的で、なんら不満はない状況です。
この場合、エースには力だけが必要で、人間的魅力、つまり、アシストから尊敬される必要はないと考えますか?
競技を経済活動として割り切った場合、パフォーマンスを安定して発揮できるかどうかを伺いたいです。


それはないですね。
エースとの人間関係や、敬意は絶対必要です。
つまり、

「人として尊敬できて好きか」

というのは、とても大きなモチベーションの要因です。

本当の極限状態の場合、そこで更に仕事をするのは、合理性ではなく、「人の心」です。
相手への敬意がないと、最後の淵で、ペダルを踏めません。

だから、本当に泥臭い競技なんです(笑)


社会の縮図ですね(笑)

ランスが7連覇をしていた当時、アシストにかかるプレッシャーも並大抵ではなかったはず。
彼らが楽をしていたかというと、長時間プロトンを支配する必要があったわけで、かなり厳しい状態だったと想像できます。その中で、献身的働きをするには、やはり、最後の最後にはエースへの信頼と敬意がないと無理でしょうね。


理屈や実利だけでは推し量れない、むき出しの人間関係。

だから、一連の展開の中に、我々はドラマを見て、共感できたり、泣いたり、反発したりするのかもしれません。



そうですね。
最後は理屈じゃないんですよね。

「好き」か「嫌い」

その割り切れないドロドロした状況が、展開を勝利にも、敗北にも結びつけるんです。

KANAKO NISHI :Talkin' with Eyes

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

(fin)


日時:12-Feb-2011(sat)
場所:品川/東京

Talkin' with KANAKO NISHI (vol.1)

KANAKO NISHI : The Empress of Flame


日時:12-Feb-2011(sat)
場所:品川/東京

■レース中に考える事



Q
西さんに僕が撮影した写真を始めてお見せした時、

「その時に考えていた事を、ありありと思い出した」

とおっしゃっていました。

レース中にはどんな事を考えているのでしょう?
それとも無心の状態なのでしょうか?


結構色々考えているんですよ。
雑多な、くだらないような事を(笑)


例えばどのような事でしょう?


他の選手の自転車のフレームやパーツを見て、
「あぁ、こういうの使ってるんだ」
とか、
路肩に蛇がいるとか、虫がいたとか(笑)
結構雑多です。


F1のドライバーは、ライン上のクラック一つを識別する、と聞いた事があります。
それと同じような感覚でしょうか?
ポイントとなるモノが、フォーカスされて、大きく目に飛び込んでくるような。


そうですね。そうともいえます。
このヒビ割れに乗りたくないとか、別のラインがいいとか。
日本では、だいたい同じコースを毎年使うので、かなり細かいポイントまで覚えてしまうんですよ。


面白いですね。
極小のクラックがフォーカスされるんだけど、意識は様々な方向へ開放されていて、他の選手の機材や、ウェアみたいなものまで拾っているんですね。
アンテナを全体に広げていて、時々ひっかかるポイントが、ぐっと引き寄せられるような感じなんですね。


でも、一度アタックすると、急に視界が狭くなるような感じで、その事だけに集中します。
そういう状態に入る、とも言えるかもしれません。


なるほど、とても興味深いです。
雑多と仰っていたアタック以外のシチュエーションの、意識が開放された状態。
これも、決して散漫になっている訳ではなく、格闘技でいう間合いの状態なんですね。
状況を制御するのではなく、水のように様々な状況に瞬時に対応できる
「力の抜けた」
状態を作っていらっしゃるのかもしれません。
逆に、アタック時では、意識の範囲をもっと狭め、そこに必要な情報のみにフォーカスする。
確か、禅も、そういう状態の繰り返しと聞いた事があります。


そうですね。
雑多な事であっても、やはりレースに関した事だけ考えているので、その範囲はレースからは離れていないんですよ。


(続く)Vol.2 

2011年2月9日水曜日

Alternative Mode

別府匠選手を始めて見たのは、NHKの2008年の番組でした。


様々な趣味の入り口を、その趣味に関心のない人向けに紹介する番組だったので、作りは若干色物的であり、


「アスリートの人って、こういう紹介されるのは、内心ではあまり嬉しくはないのかな?」


と思って見ていました。

Japan Cup 2009のチームプレゼンテーションで、偶然、前から2列目という好条件で、200mmのレンズでそのポートレイトを撮影する機会があり、改めて見ると、とても強いオーラと視線を持った人だと感じました。

やはり印象的なのは、その目です。


TAKUMI BEPPU :molt Adagio

If You Love Somebody, SET THEM FREE.



歌舞伎の役者は、演技の多くを目で語るので、とても強い視線を持っているのですが、匠選手も、それと同じ空気感を持っています。


NHKの番組とはまったく事なる、トップエンドに身を置くアスリートの凄みを感じました。


レース中の匠選手を撮影したのは3回。

Japan Cup 2009
J-Tour 2009 飯田
全日本ロード選手権2010

前述の2回のレースを撮影して感じたのは、レース中に表情がほとんど変わらず、状況を冷静に判断するクレバーな選手、という印象です。

TAKUMI BEPPU :Voice of SIREN

表情が変わらないのは、決して苦しくないからではないでしょう。
様々なレーサーの表情をみていて、すごく苦しそうな形相になる方もいれば、匠さんのように冷静で、熱量を内に秘めた表情の方もいます。
選手ごとの特性ですね。


全日本ロード選手権2010では、僕は山岳ポイントで撮影をしていました。

オーダーのあるプロという訳でもなく、特定の選手のファンという訳でもない僕は、プロトンが接近してきたときに、ファインダーで70mmぐらいのワイド端にしながら、どの選手にロックするか瞬間に判断します。

それは明確な基準があるわけでもなく、方程式があるわけでもなく、あえて言うなら、

「プロトンの中で一番目に飛び込む力を持っている選手」

言うなれば「直感」です。


その時、プロトンの進行方向に向かって左手に位置していたブルーのジャージの選手にロックしました。

文字通り、浮き上がって見えたのです。

通過を連射し、200mmの画角からアウトするまで追いつつけました。

ブルーのジャージだったので、愛三の選手だとは分かっていたのですが、通過後にプレビューで確認しても、どの選手なのかまったく判断できませんでした。


撮影後、ゴールに移動する時に、WLRRの女性にプレビューを見せて確認してもらいました。

その方も当初分からず、しばらくプレビューを眺めた後に


「匠さん?」



TAKUMI BEPPU :Fortissimo



今まで見た事のある内に秘めたクールな表情ではなく、ある意味、泥臭いともいえる、なりふり構わないエネルギーの発散。

僕はその表情を見て、全日本というレースが持つ格式を強く感じました。
全日本ロード2010で最も気に入っているショットの一つです。

昨年の9月、Twitterで匠選手が誕生日だと呟かれていました。
その時のメッセージで、全日本の時の写真を、お見せする事ができました。
その際に友人が

「この写真のように、来年も全力で戦っている姿が見たいです。」

とメッセージを送ると、匠選手の返答は

「いつでも全力で戦っているつもりです(笑)」

と苦笑混じり。




2010年12月27日

匠選手は現役を退き、新たな挑戦として監督となる事を公表されました。


昨日、知人が僕が昨年の写真で作った写真集「NOT LOVE BUT AFFECTION」を見て感想を呟いていました。


「まったく見た事のない、見ていると辛い表情だけど、もうこの一瞬は見られないのかと思うと、撮っておいて下さって本当によかったと思います。」



TAKUMI BEPPU: Inferno!!



写真は残酷だと良く言われます。

それは真実のみを記録し、隠しておきたい影も全て白日のもとにさらし出されてしまう。

「だから、あなたの写真は嫌いだ。あまりにも生々しく遠慮がないから。」

と言われる事も多い。


この写真を見た時、

「せっかくハンサムな被写体なのに、わざわざこのショットを写真集に選ばなくても」

と思う人はとても多いと思います。

でも、僕は純粋にこの表情がとても美しいと思っています。
誓って、好奇の視点ではない事は確かです。


なぜなら、僕はこの表情が、このレースに賭ける匠選手の、駆け引きなしの「素顔」だと思えるからです。


匠監督になられた今思うと、この時の、この表情は、いろいろな意味を持って僕の心に迫るものがあります。


人の写真を撮る事は、いつも罪の意識があり、意味がない行為だと言われると、確かにそう感じる事が多い。


誰もあなたのしている事を望んでいないと。


でも、現役を退かれる選手に写真を渡す時、いつも罪の意識は薄らぎ、少し晴れがましい気持ちになります。


それは写真が「残酷な真実」ではあるけど、それは反面、「紛れもない真実」でもあるからです。


その人が本気で挑み、戦い、輝いていた記録として。

そして、少なくとも僕はそんなあなたを見ていた、というメッセージとして。

2011年1月29日土曜日

a Flowery Talent of THE 8

畑中勇介選手を始めて意識して見たのは、2009年全日本シクロクロス(12月)でした。

実際に始めて姿を見たのは2009年10月のJapan Cupで、記憶ではその時、山岳賞を獲得されています。

Japan Cupの時は、畑中選手をかなりの数撮影したのですが、その個性的な雰囲気と、攻撃的な走り以外は、失礼ながら、それほど印象に残っていませんでした。
(もっとも、その時期、日本で走られている選手をほとんど知らなかったという事もあります。)


全日本シクロで走る畑中選手は、すごく僕の目を惹きました。


YUSUKE HATANAKA :ajitanto


成績自体はDNFでしたが、全身から発散される「楽しい」という気持ちがとても印象的でした。


担ぎ上げのセクションで、多くの観客から、「オレ8!」と声援やヤジ(?)を受け、破顔する。

YUSUKE HATANAKA :cantabile



レースが終わった時に、当時、まったく選手と会話したことがなかった僕が、意を決して、「お疲れ様でした!」とファインダー越しに声をかけると、「ありがとうっす!」と破顔する。


YUSUKE HATANAKA :cantabile


成績から見たら散々だったはずですし、レース中に笑顔を見せるなんてロードではない事でしょう。

でも、見ていると、冷やかしとかで出ているのではない事が分かります。




楽しい」という気持ちを指でなぞり、その気持ちをかみしめながら走るような感じです。





以前書いた福本千佳選手の「楽しい」、という生来のオーラとはまた違う。

最近になって、その年の畑中選手の状態がとても良くなかったと聞きました。

今、思うと、それは

「もう一度原点に戻って、自転車の楽しさをなぞって思い出す」

という気持ちだったのかもしれません。


好きな事が職業になるのは理想的だと多くの人は思います。


でも、職業になるからこそ、本来の「好き」という気持ちを忘れてしまいます。

趣味であれば、時間と場所と気分を選べますが、職業は単発の享楽ではなく、毎日のマラソンです。

連続して安定した状況を作り出さなければいけない為、状態の悪い時にも結果を出し、またある局面では、更に追い込みたいのに、自分のボーダーを下げなければいけません。


趣味の時にはなかった「制約」に縛られるんですね。

いつしか、その「楽しい気持ち」を忘れてしまう。

もちろん、心の中心で「好き」だから、競技を続けるんでしょうけど、でも、表面的には、その気持ちを見失ってしまう事が多いです。


でも、面白いと思うのは、多くの場合、好き勝手にする趣味より、様々な制約のある「職業」という足かせは、同じ分野でも自分をさらに高いレベルに上げてくれます。

制約があるからこそ、自分の得意ではない、あるいは自分の状態が良好でない時に結果を出す為に工夫するんでしょう。






そして2010年。

初戦の熊谷クリテリウム。

畑中選手は優勝されました。

その時に運良く、シクロの写真を直接お渡しする事が出来ました。

「オレ、キタネー!でも嬉しいっす!」

とまた破顔される畑中選手。


表彰式を待つシートに腰掛けている畑中選手をファインダー越しに見て、とても印象が変わっているのに気がつきました。


YUSUKE HATANAKA : Adagio


たった3ヶ月前のシクロの時は、どちらかというと天真爛漫な少年的な表情だったのですが、その時は、自信に裏打ちされた大人の表情でした。

青年という表情でもなく、技術と経験を兼ね備えた大人の表情です。


そして4月の東日本GP。

ここでも優勝。

表彰式の後、インタビューを受けている表情はさらにシェープされ、見ていると、怖いぐらいの表情です。

2010年、畑中選手の表情は、レースを追う毎に研ぎ澄まされ、「強い表情」になっていくのが印象的でした。


YUSUKE HATANAKA : lebhaft


YUSUKE HATANAKA [Man In The Mirror]




畑中選手は「華」という才能を持っていると思います。

多くのファンは、彼を見るだけで気持ちが高揚し、応援したくなります。
その才能は、多くの場合天性のものですが、技術や自信や葛藤に裏打ちされて、自然に巨大化していく才能です。

例えば、才能のある喜劇役者は、その人が舞台に現れるだけで観衆が沸きますよね。

それは役者の知名度ばかりではなく、容姿が面白いのではなく、その役者が

「場を支配する力」

を持っているからです。
一般にオーラと言われるものですね。

ロードは駆け引きの競技なので、「場を支配する力」というのはとても重要なスキルだと思います。



YUSUKE HATANAKA :energico



今後、どのような選択をされるのか、とても興味がある選手です。

見ているだけで力をもらえる満面の笑みは、ずっとそのままなんでしょうね。




YUSUKE HATANAKA :Flash

2011年1月10日月曜日

Message in a Bottle

著名人にサインをもらいたいと思った事はありませんでした。



元々、サインというものが何を意味するのかも分からず、漠然と

「著名人と会った記録」

みたいなものかな、と思っていました。



日本の景勝地に時々ある記念スタンプみたいな印象ですね。

最近になって理解したのですが、それって写真と同じですよね。

「その人を記録する」

そう考えると、僕がサインを欲しいと思わないのは、写真を撮るからだと思います。


8日に、昨年お世話になった知人と食事をしました。

僕が昨年末に個人的に制作したロードレースの写真集を持ってきて頂きました。

彼女はいくつかのレースやイベントで、その本に記載されている選手に、それぞれのページにサインをもらっていたので、それを見せてもらうためです。

それぞれの方のサインを見て、不思議な感慨がわきました。



以前書いたように、自分にとって、「肖像写真」というのは

「その人に向けての自分の手紙」

に等しいものです。



今、自分が向けた手紙をいろんな人が見て、それにサインをしている。



サインをもらった時の様子を、知人がいろいろ教えてくれます。



「えっ、なにこれ!めっちゃ欲しい!」


「私、ちゃんとしたサインがないんでちょっと恥ずかしいんですw」


「えっ、これどこ?どこで撮ったの?」





驚かれながらも、喜んでサインをして下さったとの事。

そうですね。それは手紙に対する返信みたいなものです。


人に気持ちを伝えるのに、様々な手段があるけど、やはり、「形」のある手段は説得力を持つし、それに長い時間にわたって残る。


知人に写真集を差し上げた時、

「サインもらおうかな?でもサイン帳じゃないから失礼ですよね?」

と彼女は言っていたのですが、今になって思うと、この写真集は、実は、サインが入った状態で完成と言えるのかもしれないですね。


様々な筆跡の返信の束をテーブルに置いて、ファインダーで見つめながら、そんな事を考えていました。

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2011年1月7日金曜日

Portrait of Women(st-1)

昨年、Ustreamで、友人によって行われたインタビューのテーマは

「女性の肖像」

でした。

その時の内容

1.女性の肖像写真を撮影するのは苦手。

2.なぜなら、男性である自分は、男性に対してより、女性に対して踏み込む事が出
        来ない(=より大胆なエフェクトを加える事が出来ない)

3.なぜ、踏み込めないか? という議論には、放送中は結論が出ず。

4.教育の問題、倫理観、いろいろ上げられたが、後日、インタビュアーとの雑談の中で、
        「女性は輪郭が丸いから、シャープなエフェクトが加えられないのでは?」
        との意見が出て、方法論だけの問題との結論。


5.女性の美しさ、というのは何か?

        →造形的問題だけではない
        →華道では、綺麗なだけでは「美」ではない。清濁併せ持つものが「美」
        →なぜそれが「美」か?
        →清濁併せ持つ事が、生物としての多様性を表し、
        「生命としての強さ」=「原始的なアピール」
        につながっているのではないか?

という事でした。



レースの写真の撮影を始めた2008年末から、2009年12月ぐらいまで、女性を撮影する事はほとんどなく、被写体はほぼ男性ばかりでした。

その当時は無意識でしたが、今理由を考えてみると

1.まず、女性カテゴリーのレースが関東以外では少ない。

2.女性アスリートを撮影する行為は、その当時、世間ではビーチバレーの選手に対        しての無遠慮な撮影が問題になったように、なにか後ろめたさを感じる。

という事だと推測します。

その時まで、NOT LOVEに登場した女性は、わずか3名。

ただ、2009年の全日本シクロクロス選手権(金沢)で状況が一変します。
始めて見た女性カテゴリーのレースで、しかもシクロクロス。

シクロクロスは、ライダー自体にフォーカスしたい僕にとってはうってつけの種目です。

・自転車レースなのに、自転車に乗らない区間がある
・低速でより接近しやすい


金沢は泥のレースで、泥まみれになりながら、前を見つめて戦う女性の姿は本当に美しく、NOT LOVE 2009の全体の約40%が全日本シクロで、その中の65%近くが女性です。このレースを境に、被写体としての女性が急増します。

AYAKO TOYOOKA :piano forte


NOZOMI NAKAMICHI: Pietà

Die Brünhild mit Schlamm

MASAMI MORITA :Presto

CHIKA FUKUMOTO :Presto


この時点では、確かに、まだ女性を撮影する事に対して遠慮はあるのですが、始めて被写体としての女性を認識し、とても惹かれている時です。


なぜ、その姿を美しいと思ったのか?


アスリートが持つ美の一つには、当然


「突き詰めた強さ」


というものがあります。
アスリートとしての男性と女性を見比べると、面白い事に、女性の方が、その「強さ」が剥き出しで、認識しやすいんです。

アスリートとしての男性は、なぜか「儚い」部分をどうしても感じるのですが、
アスリートしての女性は、「生命としての強さ」を痛感します。


それがなぜか、今はよく分かりません。

少し考えてみる為に、この話は、次回へ続きます。


(to be continued)

MASAMI MORITA :Le Blanc Suprême-7

2011年1月6日木曜日

Separate Ways

2010年シーズンで、競技生活にピリオドを打たれた方は、僕の知る限りでもとても多かったです。
本格的に国内のロード競技を見だしたのは2009年からなので、普段がどれぐらいかは把握していないのですが、キャリアを全うされた方よりも、20代前半や10代の、かなり若い方がキャリアの転換を表明されたのに驚きました。

引退を表明されるアスリートの心理がどのようなものかは想像も難しいのですが、新しく選択されたそれぞれの道で、それぞれの納得のいく人生を歩まれる事を祈っています。




プロアスリートの世界、移籍、引退は当然で、それは知識としては頭の中に入っていました。

でも、短い観戦歴の中で、撮影し、写真をお渡しする機会があり、言葉を交わしてきた人が、その競技から去るのは、陳腐な表現ではありますが、「寂しい」と言わざる終えません。

ロード競技はとても選手とファンとの敷居が低く、コミュニケーションを取りやすいのが特徴です。

それもあり、ファンの皆さんは、この競技に対してファナティックともいえる忠誠心を示し、

「観戦する」

という受動的姿勢よりも、

「自分たちで作り上げる」

という能動的姿勢が強いように思えます。

だから、新しい道を行く選手には、惜しみない声援と努力で送りだそうとするんですね。





引退を表明されたある選手に、全日本シクロの会場でお会いする機会がありました。

全日本ロードの時の写真をそれ以前に送っていて、お話を聞くのはそれが始めてでした。


「他に僕の写真はありませんか?やっぱりないですよね?」


その言葉は、社交辞令ではなく、本当に彼が心から、自分のレースの写真を欲している事が分かる響きを持っていました。

帰ってからライブラリを探し、全日本ロード内で8ショットを発見し、お渡しする事が出来ました。


その時に思い出しました。

以前に、アスリートの方にとって、写真が重要な意味を持つと思った事を。


自分が、例え短い間でも、全身全霊で打ち込んだ対象が、それが自分の記憶だけではとても辛い。

「証」が「形」として残る事はとても重要な事です。

もしかしたら、すごく辛い時期に、自分が戦っていた姿を見て、なにか思い出すからもしれない。

もしかしたら、将来の自分の家族に、その姿を見せる事になるかもしれない。

その時、自分はなにを考えていたのか?

なにと戦っていたのか?



報道として全体を伝える写真ではなく、本人の皮膚感覚をトレースするかのごとく寄る写真にも、そこにだけは価値があるのかもしれません。

他の人が見ても分からない、本人だけが思い出すなにか。



選手として退かれても、なお、別の形でレースの現場に残るひと。

そして、まったく新しい道を行くひと。


タイムカプセルに入れる手紙のように、何年か、何十年か先に、写真を見て、なにか思うところがその人にあったら、それはフォトグラファーとしてとても幸せな事です。







Good friends we have, oh, good friends we've lost
Along the way
In this great future you can't forget your past
So dry your tears, I say

俺たちの大事な友達、もう失ってしまったけど

生きている間はそんな事もある。
これから素晴らしい未来が君を待っているけど、過去を忘れてはいけないよ。
だから涙をふいて。


No, Woman, No Cry (Bob Marley And The Wailers)

Life is Just a Dream, You know. : Blue

MAKOTO IIJIMA :con fuoco

YOSHINORI IINO :molto Allegro

MAKOTO SHIMADA : animando

TAKUMI BEPPU: Inferno!!

HATSUNA SHIMOKUBO : adagio

CHIHIRO MATSUDA :grazioso

2011年1月3日月曜日

Expression

人の表情はとてもデリケートなものです。


特にファインダーで見ている人の表情。
レースではなく、正面から人を撮影した時、その表情の移ろいは、自分との距離感でもあり、とても捕らえるのが難しい。

手のひらに落ちた淡雪みたいに、1秒の時間が長く感じます。

2010年のシマノ鈴鹿ロードで、あるチームの撮影をさせて頂いた際、チームの方から

「どんどん指示して撮ってください!」

と言われたのですが、その時になって、人を正面から撮影する事の難しさ、恐ろしさを痛感しました。

その時まで、人物の写真を撮り、それに自分の印象を乗せてレタッチする事に、なんら躊躇いがなく、自分も目標に誘導する事は普通だと思っていました。

ただ、正面から写真を撮る時、視線やポーズを要求するのは出来ませんでした。

もしかしたら、それは正面切っては自分の意見が言えないような卑怯な感情なのかもしれません。

その時は分からなかったのですが、いろいろあった今になって考えてみると、

<レタッチしている時>
その人が発散した熱量、その印象を忠実に再現する為に、光学的表現では再現できなかった側面を表現しようとしている。

という事だと思っています。

つまり、その人物の印象を表現する手段としてレタッチがあり、その時には自分の主観要素が全面に出てもいいが、撮影時に、その人の意図と違う要素をノイズとして入れたくない。

たとえば、相手に、ある動作を要求した場合、それは相手の自由意志ではなく、表情は死んでしまう気がするんです。

職業的被写体の場合、要求により表情を作るスキルがあるのですが、それは僕が求めているポートレイトとは違います。

でも、興味深いのは、指示をしなくても、自分の存在を消す、というのとは違うんです。

初対面であっても相手に信頼されなければならず、その為には自分を偽ってはならない。
そして、会話の流れ、時間の流れの中で、表情は常に移ろいゆく。

その時、その人の表情がどのように移ろうのか見つめているのは、とても刺激的な経験だし、レース自体を撮影しているよりも、はるかに緊張感を伴い、半分呼吸する事も忘れている事が多い。


人の表情がとても興味深いと感じたのは、シマノ鈴鹿ロード2009のポディウムに立つ別府史之選手を撮影した時です。


その時は、まだ写真を始めたばかりで、自分がどういう写真を撮りたいのかも分かっておらず、あまり写真を撮る意味を見いだせていませんでした。


別府史之選手はその年のツールドフランスに出走され、シャンゼリゼ・ステージで敢闘賞を獲得。その凱旋レースでした。

別府史之選手を実際に見たのはこの時の鈴鹿が始めてです。

それまで写真を見た印象では、柔らかい印象の、穏やかそうな、優しそうな青年、という印象でした。


でも、ポディウムで見た時、それまでの写真で見た印象とはまったく違い、強い意志を持った、ある意味、「揺るぎのない」表情だと感じました。

長い欧州生活で培ったものなのか、あるいはツールでの経験で、なんらかのブレイクスルーがあったのか。


ファインダーで見ている彼の表情は、随時変化し、確かに、それまで見た事のある表情も多いのですが、全ての表情の底には、やはり強い意志が垣間見え、そして、その時、最後に撮影した表情は今までにまったく見た事のなかった表情でした。


<撮影時のオリジナルjpeg>

FUMIYUKI BEPPU


特に気負っているわけでも、劇的な表情でもなく、とてもニュートラルな表情なのですが、彼が通過してきた道や葛藤みたいなものが垣間見えるような気がします。
ちょうどモナ・リザの肖像のように、見る人により、また見る人の気分により、いろんな見方のある表情です。


その時に感じた印象をずっと反芻していて、半年後にモノクロームにしたもの。

<モノクローム変換>


FUMIYUKI BEPPU  :Le Blanc Suprême-45


印象は「経験と成長」だったので、陰影はどちらかというときつく、汚れのように。
これは、僕がその時にもった印象そのものです。



人によっては、これは罪深い愚行と写るかもしれません。
でも、その時にファインダーで見ていた印象は、まさに色が抜けた音のない世界のようでした。



その時も、今でも、別府史之さんとは言葉を交わしてはいません。
今自分が追求している「相手と対面し、その印象を記録する」というテーマ以前の撮影です。

自分が会話して、そして作り上げた関係はそこには投影されていません。
だけど、それは要求した表情でもない。

表情は一期一会の物で、今は当時より、技術的にも人間的にも成長していると思いたいのですが、同じ表情は絶対に撮れないと思います。


人の表情は、本当に多くの情報の宝庫です。そして、それは受け手の数だけ正解がある。


ずっとこの写真はご本人に渡したいと思っていて、念願かなって友人の協力により、昨年のサイクルモード大阪でお渡しする事が出来ました。
(僕は交通事故の影響で行けませんでした)


自分からの直球の手紙でしたが、とても喜んでくださったそうで、終了後、Twitterで

“Special Thanks to You!”

のメッセージを頂いた時は、ずっと、自分が葛藤していきた事が一つ完結した気がして、とても救われた気持ちでした。


僕が人の表情の写真、というのに真剣に取り組もうと思った原点のショットでもあり、とてもニュートラルな表情なので、その時の自分の心情を表現するのに、たぶん、この先も挑戦し続ける題材だと思います。

迷った時には見返して、自分の原点を確認しています。

原点だけど線分上の通過点ではない、

ある意味、この時だけ撮れた到達点でもあります。



FUMIYUKI BEPPU :Adagio :take-2

2011年1月1日土曜日

RECORDS

TOJ2010伊豆ステージの終了後、

各チームのテントを巡って、レース後の選手の表情を撮影していました。

翌日は最終の東京ステージ、しかも内容がクリテリウムとあって、総合の大勢はほぼ決定しており、多くの選手の表情は、どちらかというと穏やかな印象でした。

ただ、TEAM NIPPOのテントだけは違っていました。

宮澤崇史選手は、このステージでのチームの方針に納得がいかない様子で、激高し、監督に激しく意見していました。

その発散される熱量はすさまじく、誰も周りに近づけない状態でした。

僕はその熱量に威圧されながら、でも、その表情に魅入られたようにシャッターを押し続けました。


TAKASHI MIYAZAWA   : Le Blanc Suprême-86


帰宅し、Flickrに選択データをアップロードした後、宮澤さんの激高されている場面を撮影した事について、かなり悩んでいました。


僕の中で、宮澤選手のイメージは、真のプロフェッショナル。

それは、職人的な意味合いではなく、「魅せる」事も視野に入れた、真のプロアスリートの姿だと思っています。



そんな宮澤選手が、激高した姿をファンに見せたいと思うだろうか?



それは絶対にない。

彼の中では、おそらく厳密なセルフイメージがあり、それを崩したいとは思わないはずです。

僕が報道関係者だったら、このシーンを撮影する事はなかったと思います。

それは選手との阿吽の呼吸であり、そのルールを守る事によって信頼関係を築くものだから。

では、なぜ、僕は撮影したのか?そしてFlickrに公開したのか?




パパラッチのように「ピーピング・フォト(のぞきみ写真)」に価値を見いだしている。




その疑念がずっと頭にあり、TOJの後かなり引きずっていました。


ただ、僕が断言できるのは、僕がこのシーンを撮影したのは、

「美しい」

と思ったからです。

「怒る」

という行動は、とてもエネルギーのいる行為です。
生活していて、本当の意味で怒る事って、ほとんどありません。
多くの場合、怒るより説得した方が効率的だし、エネルギーの損失もない。

だから、激高する宮澤選手を見て、そこまでの(ある意味常軌を逸する)熱意を、「勝負」というものに傾けているんだ、と痛感しました。




宮澤選手にとって、そのステージは、
「消費した通過点」
ではなく、
「勝てる可能性をみすみす放棄した失態」
だったのです。





でも、写真には

「激高している状態」

だけが記録される。それをどう受け取るかは、受け手次第。

考えているうちに、どんどん深みにはまってしまい、かなり苦しくなったので、弱気になっていた事もあり、観戦歴の長い知人に相談しました。

知人の回答

「確かに報道で使われる写真ではないけど、これも記録だと思う。」


「写真には日付が残るでしょう?それが公開されている事は、後になってきっと価値がある事だと思う。」


「宮澤さんは、この時、どんな気持ちで怒っていたんだろうね?って、きっと後から誰かが思う。それだけでも、記録の少ないロードレースにとっては意味がある。」


その時までずっと忘れていたんですが、写真の基本特性は

「記録を保管する」

事だったんですね。

時間を静止させ、日時を記録し、今では場所まで記録できる。

その時まで、自分にとって写真を記録として思った事はなく、絵筆とか万年筆みたいな感覚でした。


僕の写真は「アート的」と評される事が多く、撮影した写真はその「素材」と見なされる事が多い。

でも、たとえ「素材」であっても、その「素材」が

「本質的に記録特性を持った写真」

である事には変わりがなく、見る人に対して、なんらかの記憶の媒介になるという点では、報道の写真と同質なのかもしれません。



後に、あるサイクリストが、僕が撮影した本人の写真を見て



「その時に考えていた事を、ありありと思い出した」



と評されたのも、その結果なんでしょう。

報道の写真は、レースの流れや時間軸を記録し、僕の写真は、もっと皮膚に近い、痛みや、迷いといった感覚を記録しているのかもしれません。


自分が100%邪心なしでその写真をとったのかは、正直、今でも自信がありません。

でも、その話を聞いた時に、なんで自分がレースの写真を撮影して、記録し、残すのか、少し理解できたような気がします。




最初は自尊心から。

次第にいろんなサイクリストと接するようになり、彼ら彼女らの生きている世界を見て、



「サイクリスト達が情熱を傾けている姿を記録し残したい」



という気持ちに変容していったんだと思います。

仕事で建物や、ソフトウェアを設計したら、それは見える形で残ります。

でも、ロードレースの場合、あれほど過酷な状況で戦っているのに、記録に残る事ってとても少ない。

それって恐怖だと思うんです。




僕が自転車に競技として乗る事に関心を示さないのも、



「自分はアスリートではなく、記録し、サポートする立場」



という厳密な線引きがあるからだと思います。




興味がある対象に、主体として関わりたいと思うのは、人の自然な欲求です。

アスリートや天才的な才能を持つ人々は素晴らしいけど、特殊な才能のある人だけStand Aloneで存在している訳ではない。

それをサポートする人、応援するファン、全てがユニゾンになって系(system)が構成される。

そう考えたら、初めて、自分の立場に、少し自信を持つ事ができました。

葛藤し、悩んで進む事は、アスリートもフォトグラファーも同じ。




肖像写真は、本質的に「罪」である事には変わらないけど、、自分の立ち位置を見失わなければ、もうちょっと続ける事はできそうな気がします。


僕は元々とてもメンタルの強い人間だと思っていたのですが、写真を始めてから、いろんな弱点が剥き出しになり、びっくりするほどセンシディブな反応に驚く事も多いです(笑)

どうしても自分で消化しきれず、アームストロングの誠実さと同数しかいない希少な友人に話す事もあります。



ただ、それは逃げているのではなく、自分の中の考えを昇華させるストレッチだと思うんです。(往々にして言葉が足らないのですが(笑))




今度、あなたに、そういう機会があれば、身の不運だと諦めて、そのストレッチに付き合っていただけると、とても嬉しいです(笑)


Happy New Year.

2010年12月29日水曜日

THE ZONE

萩原麻由子選手の走りを初めて見たのは、今年、2010年4月24日。
季節外れの吹雪になった群馬CSC東日本グランプリでした。

萩原選手はファーストラップから独走。まったく他の選手を寄せ付けず、さながらITTのような走りでした。

その時、萩原選手の事を失礼ながら知らなかった僕は、萩原選手のある特徴に引きつけられました。


ロードレースは基本、他者との駆け引きなので、プロトンの中でも選手の視線は目まぐるしく移動します。

萩原選手の視線は、ずっと前方一点に固定され、一切移動する事がありませんでした。

独走だったので、全ラップ、全て連続で捕らえているのですが、どのショットを見ても視線はまったくぶれていません。

実際のITTを初めて見たのは、その半月後のTOJ堺ステージですが、ITTでも、選手の顔は固定されていても、視線はかなり移動するものです。


MAYUKO HAGIWARA: Cyclo Lovers Rock-9


萩原選手の視線は、ファインダー越しに見てもシャッターを押すのを忘れるぐらい、ひょっとしたら、彼女は瞬きもしないんではないか、と思えるぐらい、「入神」の域の視線でした。

MAYUKO HAGIWARA :Grave


集中力が極限に達した状態を、英語では

「ゾーンに入る」 “get in the Zone”

と表現します。

例えば、高レベルのアスリートは、よく、ボールや、他のプレイヤーが静止して見えるといいます。

MBAのマイケルジョーダンや、プロ野球の田淵幸一選手もその状態を証言しています。

それはなにもオカルティックな状態ではなく、

・集中力が高まる事により、脳内の情報処理能力、五感からのセンサー応答活動が極限になる。

・その状態では周辺事象の時間軸の流れより、脳内の処理能力の方が高くなる為、主観時間の経過は遅くなる。

という状態だと思われます。

アスリートの世界だけではなく、一般人でもこの状態は発生します。

試験勉強や仕事でのプレゼンテーション。
あるいは、気の合う友達と、興味のある話題を議論している時。

その時、まるで時間は静止したようになり、相手の切り出す単語一つ一つが、まるで、その言葉が発される前から脳に飛び込むような状態になり、会話の車輪が回る時も、「ゾーンに入っている」状態です。


レースの写真を撮影している時も、こういう状態を経験します。
一見「トランス状態」のようですが、意識が飛んでいるトランス状態とは異なり、ゾーン状態の時は、全ての行動は制御下にあります。
その時は、どのような活性化したプロトンでも、ワイドから対象を選択でき、また瞬時に露出を変更できます。
これも神がかった状態ではなく、継続し、繰り返した動作の蓄積と分析から、論理サーキットが形成され、一見跳躍した選択をしているように見えるだけです。


「ゾーンに入った」萩原選手の頭の中は、おそらくシナプスの爆発による情報の洪水と、それを冷静に眺める自我が共存しているんだと推測されます。

独走状態になっているからこその視線の固定ですが、世界レベルで競っている時、萩原選手の視線はどのように動き、どのように写るかとても興味があります。

しかし、その射るようで、同時に精緻で冷静な視線自体は変わらないのでしょうね。


MAYUKO HAGIWARA [3A-VA-VA-3A-A-FF-∞]

2010年12月21日火曜日

THE ROSE

豊岡英子選手の走りを始めて見たのは、シクロクロス全日本選手権2009(金沢)でした。

AYAKO TOYOOKA :piano forte

シクロクロスを見る事じたい始めてで、選手の事はまったく知りませんでした。

でも、始めて見るシクロクロスはとても刺激的で美しく、すぐに魅了されました。

被写体としては、自分に一番向いている競技だと思っています。

豊岡選手はその大会で優勝して5連覇。

その圧倒的実力は見ていて気持ちが良いぐらいでした。

レース後、様々な方に教えて頂きながら、少しづつ選手の名前を知り、その時に豊岡選手のブログを通じてコンタクトを取り、ブログで写真を使っていただいて、とても光栄でした。

とてもサバサバした気持ちの良い文面の豊岡選手。

2010年初戦の熊谷クリテリウムも圧倒的な実力でねじ伏せ、とても印象的でした。

6月の全日本直後、ブログとTwitterで怪我の為に暫く休養すると宣言されました。

プロアスリートには怪我はつきものでしょうが、ある意味、それは選手としての生命線と直結しているので、長期離脱する時の不安感は相当な物であったと推測します。

そして、8月下旬の鈴鹿ロード。

豊岡選手はウィラースクールの講師として参加してらっしゃって、偶然、会場で短い間、お話を伺う事が出来ました。

始めてお話した印象は、

「とても繊細な方」

という印象でした。

話される言葉の選択は慎重で、丁寧に床に卵を置いていくように話されます。

ポートレイトの撮影をお願いすると、快く引き受けてくださいました。

最初のショットは表情が硬く、2枚目は僕が冗談を言って、若干表情が緩んでいます。
そういう時って、粘って表情を捕らえようとする人もいるのかもしれないのですが、僕はその表情がとても好きでした。

その時の、豊岡選手の心情でもあると思うからです。

AYAKO TOYOOKA :Le Rouge.

ポートレイトは単体で完成された作品ではなく、人間である以上、その人の人生の時間での流れを記録する作品でもある、と思っています。

人間は人生のどの部分を切り取っても、喝采に囲まれているわけではありません。

むしろ、華やかな側面なんて、ほんの数パーセントで、後は暗く、葛藤にまみれ、地を這うような苦悩に囲まれている事が多いでしょう。

12月の全日本シクロクロス。

豊岡選手は優勝され、全日本6連覇を達成。

そこに至る苦悩や葛藤は、当人でしか分からない。

ただひとつ。

レースが終わった後、多くの女性のファンの質問に丁寧に答え、ご自身からポーズをとられ、皆に微笑むその表情は、今まで見たどの瞬間よりも、人間としての奥行きが感じられ、嫋やかで、とても美しい表情でした。
AYAKO TOYOOKA :Cantabile

プロアスリートは成績が全てであり、それは否定できない現実です。
でも、そこへ至る、身をよじるような苦悩と葛藤、そして、その修羅に潰されていった多くの血。

それらがあるから、やはり成績は美しく輝いて見えるんだと思いました。

冬を雪の下で種で過ごし、春に咲く薔薇のように。

AYAKO TOYOOKA : THE ROSE