2011年5月26日木曜日

Der Spiegel

写真を撮影される事を好まない人は多いです。

そうおっしゃる方のお話を聞くと、

「写真はあまりに客観的で残酷です。私は写真を撮られる事は恐ろしい。
 特にあなたには【真実】として晒されるようで恐ろしいです。」


またある方は


「あなたの写真は暴力的で自分の視点しかない。
 特にあたなには【虚構】としてねじ曲げ、晒されるようで恐ろしいです。」




僕自身、写真を撮られる事が好きかと問われると、そういう経験自体がないので、なんともいえないけど、別に自分の写真は飾りたいとは思わないですね。

面白いのは、ある人にとって、写真は「残酷な真実」であり、
ある人にとっては「悪意ある虚構」である事です。

写真は単なる光学的な記録。それをデジタル・エンハンスしたとしても、無からの存在を作り出しているわけではないので、それは【鏡】と同じであるとも言えます。


人は毎朝鏡を見ます。鏡をのぞく時、人は自分の意志で角度を作ります。

おそらく、自分で鏡を見て恐ろしさを感じる人はいない。

でも、他人の意志による鏡は、自分の意志の及ばない鏡で、それは恐ろしいのかもしれない。

他人である僕が、とても良い表情だと評したところで、本人は隠しておきたい事実かもしれない。


僕がなぜ、シンプルな人のポートレイトの撮影が好きかというと、どの人の、どの表情にも、その時のフォトグラファーと被写体の関連性が表れ、まるで群像劇を見ているように想像力がかき立てられるからです。

人の写真を撮影する事は、やはりどう言葉を飾っても、人の権利を侵害する事には変わりがない。

ブレッソンが晩年に言ったように、だから、相手への敬意を持って接したい。

「敬意を払うなら、あなたが撮影をやめるべきだ」

とも言われるだろうけど、波及する全ての可能性を考えたら、もはやなにかを表現する事も、言葉を発する事も出来ません。
(「被災者の気持ちが分かりますか?」という人が、被災者でないように」)


「ポートレイトは本質的に罪である」

というのは、ずっと思っている事です。

自分の行為を「正義」と思ってチカラを執行すると、それは暴力にもなり、客観視も出来ません。

だから、正解の出ない問題であるなら、せめて懐疑的に自分を反証し、振り返りつつ自分の道を進んでいきたいと思っています。

僕は「良いもの」を生み出すわけでも、「格好いいもの」を生み出すわけでもない。

全ての行為は自分の【鏡】であり、ポートレイトが被写体の鏡であるように、フォトグラファーの心の【鏡】でもあるんです。






MAKOTO NAKAMURA :Le Blanc. /w Silence

Artemis in the Raina>


Life is Just a Dream, You know. : Blue

2011年5月12日木曜日

As a Professional Way

一つの道を追求してその最高位を得た方。

その方が仰っていました。

「プロというのはその道で生活できてプロ。私はそれが出来ていないからプロではない。」

またある方が仰っていました。

「写真を撮ってそれを人に見せて、それだけだと意味がないでしょう?
作品として自信があるなら、それをお金に出来て始めてそれが作品の評価なんじゃないかな?」



プロフェッショナル(Professional)の意味は、

[形容詞として]
1.職業(上)の、職業的な
2.専門職の (知的職業の)
3.くろうとの (対義語)amateur

[名詞として]
1.(知的)職業人、専門家、プロ選手
2.(仕事の)熟練者、くろうとはだしの人

となります。


僕の以前からの疑問は、Professional Way というのは、必ず収入を伴うものでなくてはならないのか?という疑問でした。

もちろん、[収入を得る手段=低俗]というプッチーニのオペラに出てきそうな貧乏な画家の台詞ではありません。

Professionalである事に、収入が必須条件か?

という素朴な疑問です。


そう感じたのは、以下の事例からです。

1.業界平均以下の能力を持つ職業的組織人。
        日々組織、メソッド、自分を変えようとは思わない。
        望みは安楽に現状維持
        だが、その人の生活は、職業の収入で成り立っている。

        その人はプロか?

2.業界平均以上の能力を持つ職業的組織内システムエンジニア。
         彼は震災の寄付を募るWebサイトのシステムを構築する。
        望みは被災者への少しでも多くの寄付金。
        そして日々そのサイトの発展の為に努力する。
        だが、彼はその構築からは収入を得ていない。
        完全なるボランティア。

        その人はアマチュアか?


その疑問の為、以前から興味があったP.F.ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読んでみました。


本の内容というのは、人それぞれの判断によって違うので、あえて内容の紹介はしません。
ここに書くのはあくまで、僕が感じた感想です。

複数のプロフェッショナルの定義があげられていますが、僕が感じる所があった
「プロフェッショナルの条件」。


1.結果を出す

        結果を出さない行為が趣味です。

2.イノベーション(変革)を続ける

        結果が奇跡によるものなら、結果は再現不可能で、それはアマチュア的です。
        原因を分析し、再現可能な状態にして始めてプロフェッショナル的手法です。

3.社会からのフィードバックがある。

        結果が自己完結したらそれは、やはり趣味であると思います。
        フィードバックは様々な形態があります。

        (a)報酬等、兌換性のある価値での補充
        (b)名声、応援、感謝等、兌換性のない価値での補充

        
人は必ず社会とつながっており、出来れば社会に貢献出来る人間でありたいと願っています。

職業は「価値の生産」でもあり、社会に価値を生み出して、社会に貢献し、そこから得た報酬により税金を支払い、また社会へ価値を拠出します。

ボランティアは直接的社会への貢献であり、そこから得る報酬は、不定形の兌換制のない価値です。
無報酬故にそれは「趣味人の娯楽」かというとそうではなく、職業と同じように社会に価値を創出しています。

スポーツの場合、結果を出す事により、自己と取り巻く社会(ファンであり、コミュニティーである)に価値を創造しています。
結果を出す事により、それは十分、プロフェッショナルな行為と言えます。



個人的な感想。

収入を得る為の職業は、自分の持つスキルの中から、最大の投資効率を持つものを選択すべきだと思っています。

例えば僕の場合、それが写真の撮影ではないという単純なお話です。
それは取り組む姿勢が劣っているとか、そういう問題ではありません。
自分の強みを最大に生かせて、かつフィードバックが最大のものが、今の職業だからです。

なぜ、人はボランティア等の手段を通じて社会に貢献したがるか?

職業という世界の中だけでは、時に自分を客観視する事が難しい事もあります。
常に追い風という事はあり得ない。

その時に、自分は別の手段でも社会に貢献出来る、という実感があると、それは人生の幅であり、心のゆとりでもあります。

社会的価値の創出は仕事からだけではない。

これは趣味を持つ事が人生を豊にする、という事ではありません。

社会に貢献出来る手段を複数持つ事が人生の選択の幅を広げる、という意味です。

人によっては、職業よりも、スポーツや写真や、あるいは舞台等の比率を高めたい、という場合もあるでしょう。

理由は

1.対象のコミュニティーからのフィードバックを得たい
2.対象のコミュニティーの中での地位を確立したい

という場合であり、この目的の為に、職業の比率を減らし、生活サイズを縮小するという選択でもあります。
(劇団の人とかがそうですね)

その領域を職業にしている人にとっては

・プロフェッショナル=職業的

であり、対義語が

・アマチュア=未熟で価値の劣るもの


という図式になりがちです。

だけど、人が求める価値は違い、その分野を追求する姿勢と、その品質は、兌換的価値の取得に依存するものではありません。



自分の中の目安は

「思考が安定を求めたら、それはプロフェッショナルとしての危険信号」

だと思っています。



一面広がる平野の中で、自分の位置を常に確かめながら、少しずつ進む選択こそプロフェッショナル的姿勢です。



Field of Yellows 35

2011年5月7日土曜日

sēpia

モノクロームと聞いて、多くの人が思い浮かべる色はセピアだと思います。

セピアは元々、イカの墨から作られる絵の具の意味だそうです。それがあの甘い褐色の色彩になるんですね。

モノクロームは単一色彩表現という事なので、色は別にショッキングピンクでも、ヴァイオレットでもいいのですが、伝統的にモノクロに使われる基本トーンは

ブルー
銅(カッパー)
セレン
セピア
イエロー

の階調で再現される事が多いです。
モノクロフィルムの特性なのか、焼き方から来ているのかは分かりません。

「サイクリストの肖像」をモノクロームで初めてから、様々な色調を試してきましたが、セピアだけは、昨年暮れまで使う事がありませんでした。

写真の素人から見て、モノクロ写真というのは、とても難しそうだという認識がありました。

モノクロの写真は、モノクロームになっている(だけ)のものもあり、なんというか焦点がぼけている感じがしたのです。

モノクロームになっている事が目的で、インスタントにモノクロームの記号(アンティークさ)を纏っている感じです。

モノクロの写真で最初に印象に残ったのは、大学生の時に美術館で見た、ロバート・メープルソープによる様々な裸体の写真でした。

とてもソリッドで力があり、その時までモノクロというと、過去のパリ万博とかの写真、ぐらいのイメージしかなかった僕のモノクロに対する見方を変えました。
(かと言って、写真をしようとはずっと思わなかったのですがw)


たぶん、それもあって、アンティークと密接に結びついている色であるセピアを選択しなかったんだと思います。

それを選択する事で表現が弱くなると考えたのです。


「サイクリストの肖像」で、初めてセピアを採用したのは、宇都宮ブリッツェンの廣瀬選手の写真でした。


YOSHIMASA HIROSE   :Le Blanc Suprême-48


このシリーズに取り組む時は、ライブラリの中から写真をブラウズして、インスピレーションを感じた写真の印象を、一番表現できる色調とライティングを考える事から作業が始まります。

通常、この作業は15分に満たないのですが、この写真はとても時間がかかりました。

様々な色とトーンを考えてみてもしっくりせず、1時間考えて、最終的に選択したのはセピアでした。

その当時は、どうして選択したのかよく分かりませんでした。

なんとなくしっくりきたから、としか分かりませんでした。

今思うと、廣瀬選手の持っている「艶」みたいな雰囲気を表すのに最適な色だったんだと思います。

セピアは対象の質感にもよるのですが、奥行きとMellowさの色です。

使ってみると、当初、そんなに毛嫌いしていたのが嘘みたいに、自分の求めるものにしっくりきます。焦点の定まらない感じもしません。


面白いですね。

セピアを避けていたのは、

「モノクロームの象徴への反発」

という僕の主観。自分の都合と思い込みです。


でも、

「被写体に一番最適な色、そして自分が感じた印象を表す」

のがそもそもの目的だったのに、それを忘れていたんです。それを忘れて、自分だけの視点だったんですね。

簡単に言うと、

「反逆する事(変革である事)がクール」

だという青い気持ちを持っていたんです。

連綿と続く伝統というのは、それに盲目的に従っているだけでは邪魔で無駄なものに感じる事もある。

でも、100年という短い時間であっても、時間を経て、尚生き残っている手法とうのは、意味があるから生き残っているんです。


僕は芸術家ではなく、エンジニアで、なにかを表現するという事に長けているわけではありません。

だけど、表現する事って、写真であっても、いろんな側面があって、奥深く、興味深く、恐ろしいです。

立ち位置を見失うと、自分が大きな奔流の中に溶けて消えてしまいそうになります。

だからこそ、自分の考えで「立つ」という事がとても大切なんです。


RPGのキャラクターが、転職を繰り返し、様々なスキルを身につけるけど、最後はオールマイティーの、ぼんやりしたつまらないキャラクターになってしまうように。

反応速度とスピードだけに特化していて、防御力と攻撃力は最弱。

そんなキャラに自分を育てたいです。

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

GO MATSUOKA :Sépia

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

2011年4月23日土曜日

Through the Women's View

髪型を気にするのが面倒で、いつもとても短くしているのですが、長年髪を切ってもらっているお店は、なぜかとてもクールなお店です。
(日本でのクールなヘアサロンの共通アイコンとして、店内BGMでのBjorkの確率がとても高いです。)

切っ掛けはとても些細な事でした。
朝、どうしても髪が切りたくなり、でも、その当時通っていたお店が予約が一杯で、わりと家から近いそのお店にお願いして以来のお付き合いです。

いつも担当してくれていたのは、ホリワキさんという女性。

長身瘦躯の、サバサバした性格の綺麗な女性で、いわゆる「格好いい女性」タイプです。

もう10年お願いしていますが、不思議と話の合う人です。

フリーダムな性格の人で、技術はとても高いのですが、お客さんに合わせた洒脱な会話の出来るタイプの人ではありません。

その女性と僕が偶然、車の趣味が一緒だったのです。

それもソフトスキン。

ソフトスキンとは軍用車両の俗称の一つで、戦車や装甲車のように装甲化された車両(AFV(Armored Fighting Viecle))ではなく、ジープやトラックのような非装甲車両です。

周りは上品な感じの奥様か、いかにもクリエイターっぽいお客様ばかりの中で、僕とホリワキさんは、HMMWVや、ランドローバーディフェンダーの事を熱く語り合うという異質ぶりでした。


ある日、髪を切ってもらう間、僕が撮影した写真をiPadでチェックしていました。

ホリワキさんは横からのぞき込み、急に、

「えっ!なんですか?このスポーツ。ケイリン?」

と手をとめて聞いてきました。

「すごい!どの人も、男性も女性も、本当に真っ直ぐに真剣だ。。」

彼女にロードレースの事を説明しながら、彼女がこの年のチャンピョン、彼がツールドフランスに出走した人、と一人一人紹介していました。

フリーダムな彼女は完全に手をとめてiPadを眺めていて、そして

「この女性の写真、一番好きです。」



If You Love Somebody, SET THEM FREE.




「なんだろう?なにかにせき立てられているような、なにかに追われているような、そんな風に見える。」

「顔は映ってないのに、彼女が真っ直ぐに前を見ているのが分かる。」

「モノクロームで色がないのに、他のどんな色も寄せ付けないような色があって、とても綺麗です。」




「シクロクロスっていう競技で、冬場に行われる自転車の障害物競走です。わりと街から近い場所で行われるから、是非一度見てみるといい」





「私、写真の事はまったく分からないんです。でも、雑誌とかで見る写真は、美しいけど、撮影した人が見えるんです。撮影した人の技量とか。」

「だから、どんなに綺麗な写真を見ても、それは「綺麗な写真」だったんです。」

「でも、この写真を見た時、「写真がすごい」という事は少しも思わなくて、「彼女が戦っていて、とても綺麗」だと思ったんです。あっ、こんな言い方だと失礼ですね。」




「いいえ、それは今まで聞いた中で、最高の賛辞です(笑)。本当にありがとう。」








人からの評価というのは特に気にしないのですが(大抵悪評なのでw)、時々、自転車レースの事をまったく知らない人が、レースの写真をとても気に入ってくれる事があり、それはとても嬉しいです。(なぜか100%女性なのですが)

その人達にとって、ダミアーノ・クネゴも、イェンス・フォイクトも、鈴鹿のコスプレをした一般サイクリストも違いはなく、その人が輝いているかどうかだけが判断基準になっています。

ある意味、一番素直な感情の吐露かもしれません。


人の評価はどうしても相対的なものだし、普遍的な評価なんて望むべくもないですよね。
同じ写真を見ても、世の中の人の90%は、「小手先で軽薄な写真」と感じる事でしょう。

でも、先入観がいっさいない状態で、しかも、写真ではなく、被写体になった人物に感銘を受けてもらえる。


人の写真を撮影する肖像写真家としては、これ以上の賛辞はありません。



フリーダムなホリワキさんは、先週、急遽異国に夢を追って行ってしまいました。



「髪を切る」というビジネスの形態は様々です。

僕がそのお店に行く一番の理由は、心地よいからです。

もちろん、技術もサービスも一流のお店でしたが、刃物を持ち接触する仕事は、やはり信頼が一番重要ですよね。

もしかすると、彼女の、僕の写真に対しての評価は、長い間、お互いに培ってきた信頼関係もあったが故に、先入観がなかったのかもしれません。

そういう意味では、ヘアスタイリストと肖像写真家は、とても近しい関係なのかもしれません。

信頼され、そしてその人の魅力を引き出すスキルという意味で。

2011年3月16日水曜日

WE WILL ROCK YOU


おまえは路地で騒いでいるただのガキ。いつかビックになりたいと
泥にまみれた顔
なんて恥さらし
ダラダラとさまよいながら
歌ってる

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ブットバス

おまえは気むずかしいただのガキ。いつか世界を手に入れたいと。
血にまみれた顔
なんて面汚し
世界中でお前の旗を振り回し
歌ってる

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ミカエシテヤル

おまえは哀れな老人
いつか心穏やかな場所を手に入れたいと訴える
泥のついた顔で
なんて恥辱
いつか元の場所にスゴスゴと戻るだけ

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ROCKシテヤル






from 11-March-2011


WE ARE STANDING ON HERE.

2011年3月5日土曜日

Eyes of Hyper Chevalier(強者の眼)

アスリートの眼。

トップレベルのアスリートを間近に見たり、会話したり出来るのは、ロードレースの素晴らしいところです。

他の競技と比較出来ないので、あくまで私見ですが、

「トップレベルのコンディションにあるアスリートは、あきらかに眼光が違う」

と思っています。


全体に漂うオーラ、とも言えるのですが、一番端的なのは眼だと思います。


愛三レーシングチームのパーティーで見た綾部選手。


If You Love Somebody, SET THEM FREE.



風邪で随分体調が悪かったそうですが、ランカウイでの成績からか、視線を中心に、張り詰めるエネルギーを感じました。

そういう時のオーラはなんなんでしょうね。

単にワイルドな獣の目だけではない。
理性によりコントロールされた野生。
そして結果からくる自信。

共通しているのは、視線に動きが少ない、という事かもしれません。

視界内のオブジェクトを探るのではなく、視界に入れるべきオブジェクトが分かっているかのような視線。


理性と野生のバランスが一番取れた瞬間にだけ出せる眼光なのかもしれません。




YUSUKE HATANAKA [Man In The Mirror]


CRISTIANO SALERNO : etouffer

KEIICHI TSUJIURA :Eye

SHINICHI FUKUSHIMA :le visage

2011年3月2日水曜日

Digitalized Analogous Mind(デジタルとアナログ -st1)

僕が写真を始めたのは2008年からなので、デジタルカメラが最初のカメラです。

ベースがデジタルなので、フィルムのアナログカメラというのが、どういうものか良く分かっていませんでした。

比較的最近(15年前ぐらい)のアナログカメラは、露出計があり、自動露出(Auto-Exposure)があり、操作感として、デジタルとあまり変わらない印象なのですが、それ以前の電池を必要としない、完全手動のカメラは、まったく未知の世界でした。

知人にアナログカメラを好む人が数人いて(なぜか皆女性)、

「なぜアナログカメラなんですか?」

と聞いてみたのですが、なかなか納得のいく回答は得られませんでした。


そんな訳で、僕の中でアナログカメラのイメージは

「不便さを楽しむコスプレ」

という、甚だ失礼なものでしたw

現代社会で、パリに行くのに、飛行機ではく、船旅を選択するような遊びだと思っていました。



そんな僕が感じたアナログとデジタルのカメラの話です。
おそらく数回続きます。



昨年の年の瀬、会社の近くにある、アンティークカメラショップになんとなく寄ってみました。
目的は、ライカがリリースした35mmサイズのCMOSセンサーを搭載したコンパクトカメラ、X1を見てみる為でした。


コンパクトカメラなのですが、値段は実売20万円とびっくりする程高価なカメラです。


ライカというメーカーは、僕のような詳しくない人間でもその名前を知っている、ある意味、カメラのアイコンのようなメーカーです。
時計でいえばロレックス、車ならメルセデスみたいなイメージですよね。


実際にX1を手に持って操作してみました。
操作系はとてもシンプル。
ホールドした感じもしっくりくるカメラでしたが、不思議な違和感がありました。

おそらく、描画性能はとても良いのだと思います。

僕が感じた違和感は、プロダクトとしての質感があまり高くない、というものでした。

写真で見た時には、とても惹かれるデザインだと思ったのですが、微妙なラインの処理や、正面の仕上げに違和感があり、それがとてもノイズに感じるのです。

正直、PEN EP-1の方が持った時の存在感があるように感じます。


今までカメラは道具と割り切っていて、デザインや値段を意識した事は全然ないので、この感想はとても意外でした。


僕のその気持ちを感じとったのか、店員さんがショーウィンドウから取り出したのが、ライカM6でした。

M6


有名なM型ライカの1984年に発表されたモデル。
基本機械式駆動ですが、TTL露出計を内蔵し、露出計を駆動する為に、ボタン電池を使います。(電池は露出計用なので、カメラ自体は電池なしでも動きます。次のM7から電子シャッターになり、電池が必須になりました。)


店員さんに手渡されて持って見ると、びっくりするほど重い。
重量は560g。

店員さんは元々アンティークカメラが本業なので、次々に熱い解説を始めます。

・ボディーは真鍮の削り出しなので、とても重量があり堅牢。M3の時代の1950年代から、ずっと現役で使われている。

・フィルム室の蓋(底部)には、遮光用のウレタンもゴムも一切使われていない。
 金属の削りだしの精度のみで、寸分違わず合わせられていて、光を通さない。
 なぜゴムやウレタンを使わないのか?
 それは消耗品だから。
 当時のライカの哲学が、時代を超えて稼働出来るカメラの開発だったため。
 消耗品があるという事は、製品の寿命を縮めるから。

・装着したレンズの種類に応じて、ファインダーフレームが自動セットされる。
・フィルム巻き取り時にリリースボタンを押し下げると、連動して、フィルムスプロケットが開放される。これらは全て電池を使わない機械式連動(カムやクランク連動)で制御される。

・ライカはフィルムノブ(フィルムを巻き取るレバー)と、シャッターが同軸である。
(構造的には、それぞれを別の部品にした方が安価で確実なのだが、人間の動作では、シャッターと巻き取りが同軸である方が望ましく、あえて負荷のかかるこのシャフトに、二つの構造を持たせた。

・発売当時(1954年)の日本での価格は、車を超えて不動産に近いものだった。


店員さんが熱く語る物語は、とても詩的で楽しく、ついつい聞き入ってしまいました。

M3をリリースした当時のライカ(1954年)の企業姿勢は、現代では考えられないものです。


カメラメーカーというより、カメラ工房ですね。
考えられる最高の設計をし、最高の素材を使い、そして、それが永続的に使えるように設計し、最高の料金で販売する。

今ではフェラーリでも、こんな工房的な姿勢ではありません。

僕は、マスプロダクツが悪いモノだとは思いません。

大量生産されるから、一般人でもカメラを買う事が出来、コンピュータを使う事が出来ます。
それによりもたらされた自由は広大です。

でも、マスプロダクツは、必要な性能に絞り、大量に生産する事でコストダウンを計り、広く流通させる事が目的です。

いつしか、世の中は、「安価である事」の重要性が「必要品質」を上回っているように思えます。

結果、とても安価だけど、必要を満足に満たせず、でも「安いからいいか」と放置される製品はとても多い。

捨てて、捨てて、回していく経済です。

機械は道具だけど、開発者に熱のある機械は、手に馴染んだり、なにか訴えかけるものがありあます。訴えるというより、挑んでくる熱のようなものが。





デジタルカメラを道具と割り切っていた理由の一つが、とても製品寿命が短いからです。
フィルムがセンサーに本格的に置き換わって、まだ10年程度しか経過していません。

デジタルカメラは進歩したとはいえ、まだ過渡期で手探りな状態です。
最高性能のプロ用35mmサイズ・デジタル一眼レフのボディは、100万円近い値段ですが、実用的に使えるのは5年程度です。

技術革新が早すぎて、カメラの根本性能自体が5年だと、大幅に書き換わるからです。

しかし、面白い事に、ライカのフィルムカメラは、1954年から現代まで、60年にわたり、根本性能に変化がありません。

進化が停止しているとも言えますし、60年前で完成の域に達していたとも言えます。

カメラを道具としてとらえる場合、安定した環境で作業出来る、というのはとても重要な事です。

デジタルの場合、ライフサイクルが短いので、新しいカメラになった場合、その環境に自分を適合させるのが、とても大変です。
(僕の3年という短いキャリアでも、1回乗り換えてます)

フィルムでは、新しい技術を追う必要がない為、技法が究極まで検証され、洗練されていて、創作以外の余計な事に神経を取られる必要がありません。

1954年のM3の設計者達の思惑通り、半世紀以上を経た2011年でも使われ続け、唯一の消耗品であるフィルムが生産され続ける限り、今後も使われ続けるでしょう。

「永遠に動作し続ける機械」

複雑な精度と、極限でも動作する堅牢性を併せ持つMシリーズは、設計者の狂気すら感じる、異様なこだわりを感じます。


M3が現役だというのは、ホビーの世界だけの話ではありません。

アフガニスタンの米軍に随行している日本人の従軍カメラマンも、デジタルの他に、M3を戦場で使っているそうです。

長時間に及ぶ行軍の際、バッテリーを充電できない事もあり、そういう時、デジタルカメラは使えません。

また、精密さ故、砂塵や、過酷な気象に弱くなっているデジタルカメラに比べ、M3は、電池を必要とせず、行軍の間、岩に当てても問題ないタフさがあります。

プロフォトグラファーの砂田弓弦さんに、昨年の全日本の時、少しお話を伺う事が出来ました。


Q
「砂田さんにとって、カメラに絶対必要な性能はなんですか?」

A
「動く事です。どのような条件下でも。
 画素は600万でもそれ以下でもいい。どんな過酷な条件でも安定して、「ただ動作する
 事」それが一番重要です。」



まさに、従軍カメラマンの方が、現代でもM3を使っている理由がそこです。

ファッションではなく、現代でも代替不能な揺るぎない性能。

「信頼性」(reliability)

があるからです。



デジタルとアナログの定義から離れてしまいましたが、初回はライカの話でした。

ちなみに、店員さんが熱く語ったM6は、その後購入し、このオフシーズンはフィルムで撮影しています。

次回は、「デジタルとアナログの解体」の予定です。