2012年7月7日土曜日

Wonderwall


才能に恵まれ

経験と実力を身につけ

勝利を経ても

それでも夢を掴むこと能わず

能わざる時を抜けるは

機会巡る時で

巡り来るは偶然ではなく

迷いの道の果てに見つけた終着点














Championships THE THIN RED LINE THE THIN RED LINE Championships

2012年6月4日月曜日

Gimme Shelter


Oh, see the storm is threatening

my very life today
if I don't get some shelter
yeah, I'm gonna fade away

War, children

it's just a kiss away
it's just a kiss away
yeah
-Gimme Shelter
The Rolling Stones












そこには逃げる場所がない。



UNBROKEN ARROW


ロードレースは人生に例えられ、
パフォーマンスは出力ではなく人間力で計られる。



だけどそこでは、
「落ちる」か「残る」の二択しかない。



登っている時の人の目は、とてもシンプルだ。










THE GHOST WHISPER 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17967 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18174 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  17626 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18310 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18270 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18456 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18465 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18355 【Der Spiegel】Tour de KUMANO 2011 st-2  18257

2012年5月24日木曜日

But for struggles, Life would have no meaning.


そもそも自転車レースのなににそれほど惹かれたんだろう?

寝る前にヨガで呼吸を整える時に、ぼんやり考えていた。
言葉で思い浮かべるのではなく、頭の中にある漠然としたイメージを手繰り寄せて遡る。

それは「目」だった。

勝利者の歓喜の目ではなく、逆境にある人間の目。


思い至らずに、

遅れて、

逃して、

だけど、その目は力を失っていなかった。


それを感動した、と語る事は難しい。
ファインダーでその視線を見た瞬間のイメージは、今でも全てのシーンが焼きついている。

「指輪物語」の中で、小人が水晶玉の中に魔王サウロンの黄金の目を見た時のように、力や恐怖や圧倒的な圧力で、それは僕の心の深い部分に穿たれている。


心が沈み落ち込む時、僕が見た黄金の目のイメージが、ぼんやり心に登ってくる。

逆境にあり、なにを見ているのか。

見るその先は、
このレースのゴールか?
次のレースか?
次のシーズンか?
自分の人生か?

力を与えてくれるという優しさでもなく、燃やし炊きつける力とも違う。

単純に、純粋に

「ワタシハタタカウ」

「タタカウガユエニ ワタシハソンザイスル」


アスリートの心は僕には分からないが、その時につけたテーマは

“But for struggles, Life would have no meaning.”
(抗わぬ人生に意味はない)


MASAMI MORITA :Presto If You Love Somebody, SET THEM FREE. KANAKO NISHI :The Empress of [Blanc/Noir] But for struggles, Life would have no meaning.

2012年5月21日月曜日

BLOODS


blood/blʌ́d/



血, 血液;活力の源泉;生命;樹液
血気, 激情;気質, 精神状態;適性
血統, 家柄;血縁(lineage);⦅通例the ~⦆(王族などの)高貴な血統, 名門;⦅集合的⦆(家族団体の)成員;〘畜産〙純血種
流血, 殺人(罪)






Spiritであり、Passionであり、Temperであり、Sinであり、lineageである。


アスリートを形容する言葉は多々あれど、
僕は常に

“Blood”

を思い浮かべる。

沸騰する血の中に刻まれた原始の本能と、それを制御しながら流される血。





BLOODS CHISAKO HARIGAI : THE ENGAGE SR-2

2012年4月30日月曜日

魔物の心臓


初めて全日本ロードレース選手権を見たのは2010年6月。
広島だった。

全日本は、それまでに見た僅かな経験での比較でしかないけど、他のレースとは「まったく異質な存在」だった。

僕は、その「異質さ」を言葉で表現する術がない。

通常と異なるプロトンの動きとか、視線の動きとか、KOMでもアタックが入った時点で、一瞬で視界からライダーが消える神経質な動きとか、

「事実」を列挙する事はいくらでも可能だけど、その事実を「言葉」にした途端に、全日本選手権が持っているソリッドな文脈が、消えていく気がするのだ。

ロードレースは、様々な人を惹きつける。
その美麗さであったり、ドラマ性であったり、戦略性であったり、
惹きつけられるものは人それぞれだ。

最初に見た全日本の、森林公園の蒸し暑く不快な森の中で、僕が感じたのは
「恐怖」
だった。

スポーツというよりも、「捕食」とも言える削り合い。

近代スポーツがラッピングして、無菌にして、見せないようにしている、人の原始的な闘争本能。
それがそのまま目の前にむき出しにされているように感じた。

まるで目の前に魔物が立ち、尖い鉤爪で、自らの胸を裂き、脈打つ心臓を引きずり出して、それを見せられているような体験。

それは「心臓」という概念ではなく、魔物の手の上で、脈打ち、血を吹き出し、引きちぎられていない幾ばくかの血管は、まだ魔物の裂けた胸につながっている。






レース後、シマノのテントで、土井雪広選手に以前の写真を手渡した。
その時の彼は、消沈というのでもなく、落胆というのでもなく、硬直した表情で、それでも無理に笑顔をつくり、ファンの女性の求めに応じてサインをしていた。

写真を手渡し、撮影の許可を求め、ポートレイトを撮影させていただいた。


この時の表情は、僕がレースで感じたような、魔物の心臓を見つめているかのような表情だった。

消沈し、放心しているのだが、目が死んでいない。
怪我をし、追い詰められた獣は、捕食される瞬間にこんな目をするのではないかと思った。


ファインダーからこの目を見つめ、目にフォーカスロックしている時、音が聞こえてきた。

「カタカタカタカタ……」

その音は、僕の指がシャッターの上で震えている音だった。


THE THIN RED LINE


その目がまるで、僕の目の前に出された脈打つ心臓のようでもあり、
そして、そこを光学的記録に収めようとする自分の罪深さが怖かった。




その年の11月。

あるレストランに土井選手がいらっしゃると聞いて、新幹線に乗って大阪に向かった。
バッグの中には、額装したこの写真が入っていた。

確認してみたかったんだ。
自分はなんの為に、人の写真を撮影しているのか?
それは罪なのか?
それは自己満足なのか?


「...6月の全日本、ゴール後、写真をお渡しした時の表情です。覚えていますか?」

「覚えています。うん、覚えています。」

「...オレ、この時、なにを考えていたのかな?(微笑)」


少しだけ話をして、写真を渡し、すぐにレストランを出た。
目的は果たしたし、一人になりたい気分だった。
大阪の街はとても寒かった。

その時の目は、もう追い込まれた獣でも、脈打つ魔物の心臓でもなかった。
柔和で社交的な、朗らかな目だ。

写真を見つめる目は、喜びとも興味とも違う。

たぶん、僕が6月に見た心臓を、時間を置いて、今彼が見ているのだ。


結局、新幹線の中での自分への問いは分からないままだった。

それはやはり、本質的に罪深い行為であり、
それは自己満足である事には変わりはない。


6月の全日本の時、僕は魔物が差し出す脈打つ心臓に怯えながらも、その噴きだす血から、目が離せなかった。

それは立派な理由ではない。

単に「僕が」見たかったからだ。


引きこまれ、翻弄され、そして気がついたら、自分で自分の血の吹き出す心臓を見ていた。

2年後の昨日。

土井選手の目には、どんな心臓が写ったんだろう?







Championships















2012年3月25日日曜日

Mining for Gold (プロトンの風景)


2010年の群馬CSCでの東日本GP。

もう5月も近いというのに、猛烈な吹雪になった。
あっという間にフードにも、レンズにも雪が積もる。

あまり見た事もない種類の吹雪。

視界すら遮る雪煙(Smoke Wall)の隙間からプロトンが接近してきた時、頭の中でこの曲が急に流れだした。

その光景は、晴れやかで綺羅びやかな騎士の行軍ではなく、足を引きずりながら、ゆっくり歩いてくる鉱夫達(Miners)のようだった。

吹雪の中、身を寄せ合い、助け合いつつも、お互いの様子を横目で確認しつつ、牽制をしあう。

プロトンは不思議で、不条理で、そして美しいと思う。

















THE HARD-ROCK MINERS













We are miners, hard rock miners
To the shaft house we must go
Pour your bottles on our shoulders
We are marching to the slow

On the line boys, on the line boys
Drill your holes and stand in line
’til the shift boss comes to tell you
You must drill her out on top

Can’t you feel the rock dust in your lungs? 
It’ll cut down a miner when he is still young
Two years and the silicosis takes hold
And I feel like I’m dying from mining for gold

Yes, I feel like I’m dying from mining for gold

















2012年2月12日日曜日

あるディーヴァの死


Whitley Houstonの曲を熱心に聞いた事はなかった。

だけど、その訃報は1日をかけて、徐々に僕の中にふり積もっていった。
正直、これほど自分の心を動かす訃報だとは思わなかった。


彼女の最初の記憶は、デビュー当時のアメリカ・ソウルシーンでの批評だった。



「彼女は裕福に育ち、教育もあり、不自由ない環境に育った。」
「だからレディーデイ(ビリー・ホリデー)のようなソウルがない」


当時の彼女はそれが随分ショックだったらしく、


「じゃあ、私が今からドラッグ漬けになればソウルがあると認めてくれるの?」


と反論したと聞いた。


真相はまだ分からないけど、結果的にレディーデイのように、アルコールとドラッグが彼女の人生を縮めた。



美貌も実力も兼ね備えたディーバだったけど、なぜか不幸の影がキャリアを通してあった。

熱心に聞いた事はないんだけど、今日、一曲だけ選ぼうと思ったらこの曲になった。



スムースで、力強く、そして自然なこのヴォーカルは、彼女にしかできない。
ディーバとして売るミュージシャンは、その歌声を強調する為にヒステリックな音域の曲を使う事も多いけど、彼女はそれがなかった。
僕の知る限り、ささやくような歌い方で破壊的なパワーを持つのは、彼女とカレン・カーペンターだけだ。

もしかしたら彼女は、最初に受けたその批判が、ずっと生涯呪いのようにつきまとっていたのかもしれない。

まだ若くして他界した事で、世間はレジェンドとして彼女を認めるんだろうか?
彼女に「ソウルへの愛」があったと、認めるんだろうか?


死者は生きている人間にとって、自由にラッピングできるチョコレートのギフトみたいなもの。

だけど、生きている人間の傷は分からない。




Everyone falls in love sometime
Sometimes it's wrong
And sometimes it's right
For every win
Someone must fail
But there comes a point when
When we exhale (yeah, yeah, say)