2011年3月16日水曜日

WE WILL ROCK YOU


おまえは路地で騒いでいるただのガキ。いつかビックになりたいと
泥にまみれた顔
なんて恥さらし
ダラダラとさまよいながら
歌ってる

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ブットバス

おまえは気むずかしいただのガキ。いつか世界を手に入れたいと。
血にまみれた顔
なんて面汚し
世界中でお前の旗を振り回し
歌ってる

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ミカエシテヤル

おまえは哀れな老人
いつか心穏やかな場所を手に入れたいと訴える
泥のついた顔で
なんて恥辱
いつか元の場所にスゴスゴと戻るだけ

オマエヲ オマエタチヲ タタキツブス
オマエヲ オマエタチヲ ROCKシテヤル






from 11-March-2011


WE ARE STANDING ON HERE.

2011年3月5日土曜日

Eyes of Hyper Chevalier(強者の眼)

アスリートの眼。

トップレベルのアスリートを間近に見たり、会話したり出来るのは、ロードレースの素晴らしいところです。

他の競技と比較出来ないので、あくまで私見ですが、

「トップレベルのコンディションにあるアスリートは、あきらかに眼光が違う」

と思っています。


全体に漂うオーラ、とも言えるのですが、一番端的なのは眼だと思います。


愛三レーシングチームのパーティーで見た綾部選手。


If You Love Somebody, SET THEM FREE.



風邪で随分体調が悪かったそうですが、ランカウイでの成績からか、視線を中心に、張り詰めるエネルギーを感じました。

そういう時のオーラはなんなんでしょうね。

単にワイルドな獣の目だけではない。
理性によりコントロールされた野生。
そして結果からくる自信。

共通しているのは、視線に動きが少ない、という事かもしれません。

視界内のオブジェクトを探るのではなく、視界に入れるべきオブジェクトが分かっているかのような視線。


理性と野生のバランスが一番取れた瞬間にだけ出せる眼光なのかもしれません。




YUSUKE HATANAKA [Man In The Mirror]


CRISTIANO SALERNO : etouffer

KEIICHI TSUJIURA :Eye

SHINICHI FUKUSHIMA :le visage

2011年3月2日水曜日

Digitalized Analogous Mind(デジタルとアナログ -st1)

僕が写真を始めたのは2008年からなので、デジタルカメラが最初のカメラです。

ベースがデジタルなので、フィルムのアナログカメラというのが、どういうものか良く分かっていませんでした。

比較的最近(15年前ぐらい)のアナログカメラは、露出計があり、自動露出(Auto-Exposure)があり、操作感として、デジタルとあまり変わらない印象なのですが、それ以前の電池を必要としない、完全手動のカメラは、まったく未知の世界でした。

知人にアナログカメラを好む人が数人いて(なぜか皆女性)、

「なぜアナログカメラなんですか?」

と聞いてみたのですが、なかなか納得のいく回答は得られませんでした。


そんな訳で、僕の中でアナログカメラのイメージは

「不便さを楽しむコスプレ」

という、甚だ失礼なものでしたw

現代社会で、パリに行くのに、飛行機ではく、船旅を選択するような遊びだと思っていました。



そんな僕が感じたアナログとデジタルのカメラの話です。
おそらく数回続きます。



昨年の年の瀬、会社の近くにある、アンティークカメラショップになんとなく寄ってみました。
目的は、ライカがリリースした35mmサイズのCMOSセンサーを搭載したコンパクトカメラ、X1を見てみる為でした。


コンパクトカメラなのですが、値段は実売20万円とびっくりする程高価なカメラです。


ライカというメーカーは、僕のような詳しくない人間でもその名前を知っている、ある意味、カメラのアイコンのようなメーカーです。
時計でいえばロレックス、車ならメルセデスみたいなイメージですよね。


実際にX1を手に持って操作してみました。
操作系はとてもシンプル。
ホールドした感じもしっくりくるカメラでしたが、不思議な違和感がありました。

おそらく、描画性能はとても良いのだと思います。

僕が感じた違和感は、プロダクトとしての質感があまり高くない、というものでした。

写真で見た時には、とても惹かれるデザインだと思ったのですが、微妙なラインの処理や、正面の仕上げに違和感があり、それがとてもノイズに感じるのです。

正直、PEN EP-1の方が持った時の存在感があるように感じます。


今までカメラは道具と割り切っていて、デザインや値段を意識した事は全然ないので、この感想はとても意外でした。


僕のその気持ちを感じとったのか、店員さんがショーウィンドウから取り出したのが、ライカM6でした。

M6


有名なM型ライカの1984年に発表されたモデル。
基本機械式駆動ですが、TTL露出計を内蔵し、露出計を駆動する為に、ボタン電池を使います。(電池は露出計用なので、カメラ自体は電池なしでも動きます。次のM7から電子シャッターになり、電池が必須になりました。)


店員さんに手渡されて持って見ると、びっくりするほど重い。
重量は560g。

店員さんは元々アンティークカメラが本業なので、次々に熱い解説を始めます。

・ボディーは真鍮の削り出しなので、とても重量があり堅牢。M3の時代の1950年代から、ずっと現役で使われている。

・フィルム室の蓋(底部)には、遮光用のウレタンもゴムも一切使われていない。
 金属の削りだしの精度のみで、寸分違わず合わせられていて、光を通さない。
 なぜゴムやウレタンを使わないのか?
 それは消耗品だから。
 当時のライカの哲学が、時代を超えて稼働出来るカメラの開発だったため。
 消耗品があるという事は、製品の寿命を縮めるから。

・装着したレンズの種類に応じて、ファインダーフレームが自動セットされる。
・フィルム巻き取り時にリリースボタンを押し下げると、連動して、フィルムスプロケットが開放される。これらは全て電池を使わない機械式連動(カムやクランク連動)で制御される。

・ライカはフィルムノブ(フィルムを巻き取るレバー)と、シャッターが同軸である。
(構造的には、それぞれを別の部品にした方が安価で確実なのだが、人間の動作では、シャッターと巻き取りが同軸である方が望ましく、あえて負荷のかかるこのシャフトに、二つの構造を持たせた。

・発売当時(1954年)の日本での価格は、車を超えて不動産に近いものだった。


店員さんが熱く語る物語は、とても詩的で楽しく、ついつい聞き入ってしまいました。

M3をリリースした当時のライカ(1954年)の企業姿勢は、現代では考えられないものです。


カメラメーカーというより、カメラ工房ですね。
考えられる最高の設計をし、最高の素材を使い、そして、それが永続的に使えるように設計し、最高の料金で販売する。

今ではフェラーリでも、こんな工房的な姿勢ではありません。

僕は、マスプロダクツが悪いモノだとは思いません。

大量生産されるから、一般人でもカメラを買う事が出来、コンピュータを使う事が出来ます。
それによりもたらされた自由は広大です。

でも、マスプロダクツは、必要な性能に絞り、大量に生産する事でコストダウンを計り、広く流通させる事が目的です。

いつしか、世の中は、「安価である事」の重要性が「必要品質」を上回っているように思えます。

結果、とても安価だけど、必要を満足に満たせず、でも「安いからいいか」と放置される製品はとても多い。

捨てて、捨てて、回していく経済です。

機械は道具だけど、開発者に熱のある機械は、手に馴染んだり、なにか訴えかけるものがありあます。訴えるというより、挑んでくる熱のようなものが。





デジタルカメラを道具と割り切っていた理由の一つが、とても製品寿命が短いからです。
フィルムがセンサーに本格的に置き換わって、まだ10年程度しか経過していません。

デジタルカメラは進歩したとはいえ、まだ過渡期で手探りな状態です。
最高性能のプロ用35mmサイズ・デジタル一眼レフのボディは、100万円近い値段ですが、実用的に使えるのは5年程度です。

技術革新が早すぎて、カメラの根本性能自体が5年だと、大幅に書き換わるからです。

しかし、面白い事に、ライカのフィルムカメラは、1954年から現代まで、60年にわたり、根本性能に変化がありません。

進化が停止しているとも言えますし、60年前で完成の域に達していたとも言えます。

カメラを道具としてとらえる場合、安定した環境で作業出来る、というのはとても重要な事です。

デジタルの場合、ライフサイクルが短いので、新しいカメラになった場合、その環境に自分を適合させるのが、とても大変です。
(僕の3年という短いキャリアでも、1回乗り換えてます)

フィルムでは、新しい技術を追う必要がない為、技法が究極まで検証され、洗練されていて、創作以外の余計な事に神経を取られる必要がありません。

1954年のM3の設計者達の思惑通り、半世紀以上を経た2011年でも使われ続け、唯一の消耗品であるフィルムが生産され続ける限り、今後も使われ続けるでしょう。

「永遠に動作し続ける機械」

複雑な精度と、極限でも動作する堅牢性を併せ持つMシリーズは、設計者の狂気すら感じる、異様なこだわりを感じます。


M3が現役だというのは、ホビーの世界だけの話ではありません。

アフガニスタンの米軍に随行している日本人の従軍カメラマンも、デジタルの他に、M3を戦場で使っているそうです。

長時間に及ぶ行軍の際、バッテリーを充電できない事もあり、そういう時、デジタルカメラは使えません。

また、精密さ故、砂塵や、過酷な気象に弱くなっているデジタルカメラに比べ、M3は、電池を必要とせず、行軍の間、岩に当てても問題ないタフさがあります。

プロフォトグラファーの砂田弓弦さんに、昨年の全日本の時、少しお話を伺う事が出来ました。


Q
「砂田さんにとって、カメラに絶対必要な性能はなんですか?」

A
「動く事です。どのような条件下でも。
 画素は600万でもそれ以下でもいい。どんな過酷な条件でも安定して、「ただ動作する
 事」それが一番重要です。」



まさに、従軍カメラマンの方が、現代でもM3を使っている理由がそこです。

ファッションではなく、現代でも代替不能な揺るぎない性能。

「信頼性」(reliability)

があるからです。



デジタルとアナログの定義から離れてしまいましたが、初回はライカの話でした。

ちなみに、店員さんが熱く語ったM6は、その後購入し、このオフシーズンはフィルムで撮影しています。

次回は、「デジタルとアナログの解体」の予定です。

2011年2月24日木曜日

Interview through the Finder

僕はハードウェアとしての自転車に興味がありません。

時間があればロードにも乗るのですが、道具という以外に特に愛着もない。
ロードレースの写真を撮影している一番の理由は、競技に身を置いている人に興味があるからです。

だからそれが「自転車レースの写真」というフォーマットとして邪道であろうと、僕が撮影する時には、無意識で選手だけにフォーカスして、自転車はカットしています。

昨年暮れ、マトリクスの阿部選手とお話出来る機会があり、お願いをして、話ながら写真を撮影させて頂き、そのお話をFlickrに掲載させて頂きました。

お話を聞きながら、タイミングを見て、ファインダーをのぞき、シャッターを切る。
視線を見ながら、話の方向性を考えて、フォーカスポイントと露出を決定していく。

最初、至近距離からレンズを向けられたら、緊張されるのではないかと思っていました。

ただ、それは阿部選手の胆力からか、話が白熱していたからか。
途中から、僕がカメラなしで話しているのと、ファインダー越しに話しかけているのを、ほとんど意識されていないようでした。、

ファインダーを通して、ポートレイトとして相手と対峙する時、フォトグラファーと被写体の間には独特の空気感があります。


IMG_5618

まず信用を得ないといけない。

いきなりコンタクトを取り、いきなりレンズを向ける事は、あり得ないし、可能であったとしても、それは良い結果にはなりません。

僕はアマチュアなので、正直に、駆け引きなく、相手への敬意や愛情を伝え、その作業を事前に積み重ねます。

著名人を撮影して、話を聞き、それによって名声を得たいのではなく、本当に個人的興味からで、その時の印象を出来れば人に伝えたい。
つまり、

「その人を紹介する」

のではなく

「私というフィルターを介して見た、その人の印象を伝えたい」

という動機です。

結果的にそれは、被写体を利用している、という人もいるでしょう。

でも、人に興味を持ち、その人の話を聞きたいと思う気持ちは、おそらく人間に普遍的に存在する基本的社会欲求だと思います。

その気持ちにブレがなければ、僕はまだ人に話を聞く事が出来そうです。


僕はそれほど会話に対する能力に恵まれているわけではなく、どちらかというと、事前に構築された考えを、人に伝える事の方が得意で、会話中のランダムな状態から言葉を選ぶのはとても苦手です。

考えてから言葉にするリードタイムを嫌い、頭の中に流れる言葉をそのまま口に出し、剪定しながら会話を紡ぐ為、同じ言い回しをいろいろ変えたりして何度も繰り返す癖があります。

会話の洗練度からするとそれがデメリットではあるのですが、ファインダー越しにインタビューしている時は、けっこう緊張した空気感になり、綺麗な流れの言葉の構築よりも、ジャズの即興演奏のように、言葉を次々にスクラップ&ビルドしていく方が、僕はお互いに考えが整理しやすいように思えます。

そう、その時の感覚は、まさにジャズのimprovisation(即興)。
お互いの投げかけるフレーズに、ある時は呼応し、ある時は方向をずらしながら。

スカイプで人と話をする時、ある程度真剣に話す時には、ビデオ通話にするのですが、それも相手の表情が見えないと、読み取る情報量が減るので、理解しづらいからです。

ファインダーは、それをかなり推し進めて、微細な表情の変化が分かる。

「あなたには写真を撮られたくない」

という人は多いけど、それはそこまで踏み込もうとする無遠慮な姿勢を嫌っての事だと思います。

ただ、僕は、話を本気で聞きたいと思う時は、それはティーラウンジでの洗練された会話ではなく、本当に本心から相手に自分を晒して、その返答を見たいと思います。

それは相手の心を剝き出しにする行為ではありません。

どちらかというと、自分の心を剝き出しにする行為です。


ある意味、会話をしながらのポートレイトは、自分の中での理想の写真の場で、どのような激しいレースの写真よりも、自分にとっては生々しく迫るものがあります。

饒舌な会話は技術的に洗練させる事が出来ると思いますが、たぶん一番重要な事は

「正直である事。自分の気持ちを飾ったり、偽ったりしない事」

それが僕にとっては、肖像写真の一番重要な要素です。



IMG_5624


If You Love Somebody, SET THEM FREE.

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

IMG_6372

2011年2月20日日曜日

Talkin' with TAKUMI BEPPU

IMG_6369

Q
友人が、何回か匠さんにサインをもらったので見覚えがあるかと思いますが、昨年、僕が撮影した写真で作った写真集です。
表紙の史之さんは、09年の鈴鹿ロードで撮影し、僕が本気で写真に取り組もうと思った切っ掛けになった写真です。
匠さんの写真は、全日本の時に撮影した写真です。
僕のそれまでの匠さんのイメージを覆す、本能むき出しの表情で、人に対する見方がとても変わった一枚です。

A
覚えています。
僕はいつも真剣に走っているつもりなんですが(笑)

Q
でも、基本ポーカーフェースでしたよね(笑)
その後、引退を表明されたのを見て、なにかこの表情も、いろいろな御決意が現れていたのかな、と想像していました。

A
そうですね。
不思議ですね。
プロトンには多くの選手がいて、高速で通過していく。
それなのに、あなたがこの瞬間を捕らえたというのは、とても不思議な気持ちになります。
縁、みたいなモノがあるんでしょうね。

Q
そうですね。
ロードの写真は、基本狙って撮影出来るものではないと思っています。
どのように優れた技能を持つプロでも、やはり最後は縁(運)に左右される。
縁がなかったら、僕も、多くの人も、あなたのその時の気持ちを知らなかったかもしれないですね。

A
本当に。

Q
以前、匠さんが、Twitterで、
「現役の時は、自分を追い込むジョギングしか出来なかった。引退してから、やっとゆっくり走る事が出来た」
とTweetされていたのがとても印象的でした。
現役は退かれたけど、自分を見つめる幅が出来たという事なのかもしれないですね。

A
ええ。
現役の時は、がむしゃらに追い込んでばかりで、あの感覚はとても新鮮でした。
ゆっくり走るなんて考えた事もなかったんですが(笑)
良い事なんだと思います。

Q
切っ掛けになったお二人に写真をお渡しできて本当によかった。
これからもご活躍を。

A
ありがとうございます。


IMG_6371

IMG_6702


20-Feb.-2011

伏見/名古屋
愛三レーシング ファン交流パーティー

2011年2月17日木曜日

Humanity Circuit

友人から


「なんでも出来るのに自分に自信がないの?」


と聞かれました。


確かに仕事を遂行する能力は比較的あるような気がします。
でも、おそらくその能力の反作用だと思われますが、僕には、


「人の気持ちを推し量る能力」


が致命的に欠落しているようです。


仕事の世界では、人は実利に基づいて行動しているので、様々雑多な感情のノイズが混じるとはいえ、その行動の帰結は予想可能なのですが、プライベートの人の感情は、そのパターンには当てはまりません。


真っ当な人は、子供の時から様々なパターンを蓄積して、「人間性のサーキット(回路)」を形成して大きくなるのだと思いますが、幼少時から奇人として育った僕には、その経験がなく、蓄積の機会を逃していました。


去年から、様々な方面で、多くの人と知り合い、その人達は、とても親切に「人の道」を説いてくれます。


多くの場合、自分で検証し、それを吸収しています。


ただ、自分の皮膚感覚で理解不能な事は、様々な方向から、質問をして検証し、あげくその相手を怒らせてしまいます。


ある人は、


「普通、人は、些細な事をパターンとしてそれ以上は考えない。その些細な事を、あまり問い詰めると、いわゆる「引く」状態になる」


と言っていました。






数日前、その愚行をまた繰り返してしまい、とても反省していました。
おそらくその人は、異文化どころか生態系が事なるモンスターを見たような不気味な感覚を持った事でしょう。


かなり凹みつつ、会社近くを出勤する為に歩いていました。


すれ違った男性に、いきなり声をかけられました。






「よかった!もう体は大丈夫なんですか?」






スキンヘッドで恰幅の良いスーツ姿のその男性は、僕は見覚えがありません。
おそらく、昨年の交通事故の事を仰っているのだと思い、現状はもう問題がない事をお伝えしました。




「失礼ですが、私はあなたに面識がないのですが、事故を目撃された方でしょうか?」




「そうです!私は近くの介護事務所の者で、事故の時、ウチの看護師が処置したんです。ご無事そうで本当によかった!」






その人は大きな手で僕の手をとり、ガシガシとシェイクします。


すごく不思議な気分です。




事故の後、事故前に寄っていたコンビニに、飲み物を買いに行きました。
レジの女性が、僕を見てびっくりし、急に泣き出しました。


彼女は目の前の事故を見て、その看護師さんと一緒に、血だらけになった荷物を拾ったり、救急に電話してくれたそうです。


事故は10トンのトラックと歩行者で、僕は後頭部から、かなり出血していたので、助からないのではないか、と思っていたそうです。


看護師の人も、コンビニの女性も、僕はまったく面識がありません。
でも、僕は非常に重大な局面で、その人達は、僕を助けてくれた。




ふと思いました。






もし、その人達と知り合いで、例によって例のごとく、僕が傷つけてしまったり、不快な気持ちにさせたり、顔も見たくない気持ちにさせた場合、彼らは同じように助けるだろうか?


答えはシンプルです。


そう、助ける。知っているから、それ以上に。


人の気持ちを推し量るのは難しい。
時として、人がなぜ自分を避け、嫌うのか分からない時がある。


自分のつたない人間性では、知っている人全てを幸福に、楽しくさせる事は難しい。


でも、孤立を気取っているような幼稚な僕でも、このように、多くの人の助けで生かされ、活動している。


人との関係は、時としてとても複雑で、デリケートで、まるで溺れてしまうような錯覚にとらわれる事もある。


でも、自分は1人で生きているわけではない。


失敗をし、相手にも自分にも血を要求しながら、それでも少しづつ、人を楽しく、幸せにする事が出来るようになりたいです。


人を怒らせる事に怯えるのではなく、でも、人との対話を続けていきたい。




人間性はほぼナノレベルの深度しかない僕だけど、一つだけ自信を持って言える事は、目の前で人が危機的状況にあった場合、どのような人であれ、助けようとする、という事です。




それはおそらく全ての人が持っている基本的人間性だと思います。
だけど、社会の根幹は、その基礎の人間性で成り立っているんだと思います。


基本的な信頼。
人間性の回路(サーキット)






2011-01-13 16-38-35

2011年2月14日月曜日

Talkin' with KANAKO NISHI (vol.2)

KANAKO NISHI :The Empress of [Blanc/Noir]

■チームとエースとアシスト

Q
僕が初めて女子カテゴリーのロードレースを見たのは、2010年3月の熊谷でした。
その時の印象は、人数が男子より少ない、という事もあるのですが、団体戦というより個人戦に近く、シクロクロスの様な展開だ、というものでした。
女子カテゴリーでは戦術的な動き、というのはやりにくいものなのでしょうか?


以前は強い選手が特定のチームにある程度いたので、作戦は幅広くとる事が出来ました。
そういう意味ではロードレース的でした。
ただ現在では、様々な理由により、ある程度強い選手は分散している。
チームの中で、自分だけ、あるいは自分だけしか動ける人間がいない、となると、展開を動かす事が出来ません。


それはなぜでしょう?


一人である、という事は、まず「リスクを冒す」事が出来ません。
ロードレースの戦術は、持てるカードが多い方が圧倒的に有利です。
アシストがいる、という事は、そこでリスクを取り、状況をかき回し、持っているカードの数を増やす事が出来ます。
でも、一人であると、全ての選手は周りの状況を伺うだけで受け身です。
お互い牽制状態のまま、淡々と展開してくだけです。


その状況は、西さんにとってはイヤな状況ですか?


楽ですね。
無線がない、という状況もあれば、現場は混乱状態になります。
基本、一人で状況を展開するのには慣れているので、混乱状態になればなるほど、私は楽な状況です。
皆が同じ条件なので。


でも、世界や、今後の日本の女子選手の状況を考えると、国内経験値の蓄積の場としては、あまりよろしくない?


そうですね。
やはり、ロードは戦術の競技なので。
その経験値が蓄積出来ないのは、良い状況ではありません。
今、国内の女子で、海外で経験を積むには、代表枠に入るしかなく、また、代表に選出される要因も、様々にあるので、そこで外れたら先が無い状態です。
あまりにもオプションが狭く、才能があっても経験値を積む前に脱落してしまう例が多いですね。


レース中に状況を展開する為の、チームの最小人数は、西さんは何人だと考えますか?


3人です。
3人あれば、かなり選択できる作戦が増えます。


3人の選手の力量を、単純な数で例示します。
エースの力を100とする。
残りのアシスト2名の力の配分としては、西さんなら、どちらがいいと思いますか?
(1)アシストA=70 アシストB=70(総量は同じ均等)
(2)アシストA=75 アシストB=65(総量は同じ不均等)


(1)ですね。アシストの能力は均一がいいです。


それはなぜでしょう?


なぜなら、(2)の構成の場合、Aの仕事を、急遽Bが行う事が出来ない場合があるからです。能力的に。
均一であれば、戦術の組み替えが可能で、幅が広がります。



なるほど!それは、すごく新鮮です。
言われてみればそうですね。単純に力のある選手を集める、というだけではないんですね。


もちろん、その均衡レベルが高い次元にある、という前提での話ですけど。



■エースに必要なもの


ランス・アームストロングがツールで7連覇を達成していた時、よくされていた批判が

「金で強い選手を買っている」

というものでした。
西さんに是非伺ってみたかったのは、ここです。
アシスト選手にとって、ある意味、理想的な環境。

・絶対的に強い力を持つエースがいる
・チームの資金力が闊達である
・自分以外にも強いアシストが揃っている

この状況は、一般的な仕事でいえば、理想的で、なんら不満はない状況です。
この場合、エースには力だけが必要で、人間的魅力、つまり、アシストから尊敬される必要はないと考えますか?
競技を経済活動として割り切った場合、パフォーマンスを安定して発揮できるかどうかを伺いたいです。


それはないですね。
エースとの人間関係や、敬意は絶対必要です。
つまり、

「人として尊敬できて好きか」

というのは、とても大きなモチベーションの要因です。

本当の極限状態の場合、そこで更に仕事をするのは、合理性ではなく、「人の心」です。
相手への敬意がないと、最後の淵で、ペダルを踏めません。

だから、本当に泥臭い競技なんです(笑)


社会の縮図ですね(笑)

ランスが7連覇をしていた当時、アシストにかかるプレッシャーも並大抵ではなかったはず。
彼らが楽をしていたかというと、長時間プロトンを支配する必要があったわけで、かなり厳しい状態だったと想像できます。その中で、献身的働きをするには、やはり、最後の最後にはエースへの信頼と敬意がないと無理でしょうね。


理屈や実利だけでは推し量れない、むき出しの人間関係。

だから、一連の展開の中に、我々はドラマを見て、共感できたり、泣いたり、反発したりするのかもしれません。



そうですね。
最後は理屈じゃないんですよね。

「好き」か「嫌い」

その割り切れないドロドロした状況が、展開を勝利にも、敗北にも結びつけるんです。

KANAKO NISHI :Talkin' with Eyes

If You Love Somebody, SET THEM FREE.

(fin)


日時:12-Feb-2011(sat)
場所:品川/東京